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4月 08 4月8日

2025年3月 活動報告

新年度が始まりました。大岡川の桜も満開で、地元南区は多くの人出で賑わっています。まだ少し寒い日もありますが、桜を眺めがらのんびり川沿いを歩く人々の表情が、自然と笑顔になっていく光景を見るのも良いものです。ただこの時期になると、特に週末は近隣のどのコインパーキングも『満車』の表示で、車で移動することが多い地元での活動に支障をきたすのが難点ではありますが…。

さて、3月の活動報告の冒頭はやはりなんといっても県議会第1回定例会でしょう。次年度予算案を審議する大切な議会です。本会議代表質問に始まり、常任委員会も4日間といつもより長く、更に3日目と4日目の間に4日間の予算委員会を挟みます。長ければ良いというものでもありませんが、議案も多くそれだけ丁寧に議論を重ねる必要があるのが予算審議です。令和7年度の当初予算案は一般会計で2兆2,158億円、特別会計・企業会計を合わせた総額は4兆6,637億円で過去2番目に大きい額となりました。特に、子ども子育て支援・脱炭素・災害対策・労働力不足の解消などに対して重点が置かれた予算案となっています。今年度は予算委員会ではない(決算特別委員会でした!)ので、ネット配信で傍聴しました。その後は、予算委員会を経て所管の常任委員会で議案の採決を行う流れなので、所属する文化スポーツ観光常任委員会において「行ってみたい神奈川の魅力づくり」を目指す次年度予算21億7,958万円を賛成多数で可決。また、国の地方交付金を財源とする物価高騰対策のための約148億円を含む1,642億円の2月補正予算も同時に可決しています。中には反対することが仕事?のような政党もありますが、県民の生活を守るため、様々な予算案を迅速に可決し一刻も早く執行させることが我々議会の役目でもあります。年度の締めくくりでもある大変重要な令和7年第1回定例会は、無事に終了しました。

3月と言えば卒業のシーズン。県議会議員は選挙区内の県立学校の卒業式に漏れなく招待されるのが慣例となっています。ただし、3月上旬は常任委員会のスケジュールと被ることが多く、せっかくご招待いただいても出席できないことが多々あります。入学式や卒業式に出席することは、感動的なシーンの目撃者になれるし当時の自分を思い出したりもして個人的には好きなのですが、議会日程と重なってしまったときは泣く泣く祝電対応しています。特にコロナ禍では出席者を最小限に絞って行うのが基本となり、地元議員は呼ばれず悲しい想いをしていました。しかし、コロナ禍も明け昨年からまたお声がけいただくようになり、今年も議会日程と被らないように!と祈っていたところ、見事に地元2校の卒業式に参加することが出来ました。まず、3/3は清水ヶ丘のてっぺんにある県立横浜清陵高校の卒業式に出席。2月の報告でも書きましたが、横浜清陵と言えば、21世紀枠で甲子園春の選抜大会に出場が決まっている学校です。地元は大盛り上がりの中ではありましたが、式は厳粛で清々しく進んで行き、感極まって涙する生徒にもらい泣きしつつも心温まる体験をさせていただきました。その後の甲子園では、「甲子園で1勝」はならず残念でしたが、強豪校相手に堂々と戦ってくれました。今後の清陵野球部に期待します。そして3/7は六ッ川にある県立横浜国際高校の卒業式に出席しました。到着してすぐに校長先生から「昨年はありがとうございました。雨漏りはすぐに修繕していただきました」とお礼の言葉を頂くことに。実は昨年の卒業式に参加した際、当日が大雨だったせいで式が行われる体育館の入口がひどい雨漏りでバケツが並べられていた状態だったので、後日すぐ県教育委員会に「せっかくの卒業式にあの状態ではかわいそうですよ!」と訴えたことを思い出しました。今年は良い天気でしたが、雨漏りは止まったようで一安心。式は、国際色豊かなYIS(横浜国際の通称です)らしい、洗練されたものでした。卒業生代表の答辞が半分英語だったのは流石です。自分の時代の県立高校では考えられない卒業式でした。時代と共に教育の方針や環境も大きく変わったと改めて感じます。同じ南区にある2つの県立高校が特色を出した素晴らしい卒業式でした。

この春はおめでたいことも続きました。自分が幹事長を務める「自民党商店街振興議員の会」の関連で、商連かながわの前会長の升水一義さんが旭日双光章を、また同じく事務局長を務める「かながわスカウト振興議員連盟」の関連で、日本ボーイスカウト神奈川連盟の副連盟長である佐野友保さんが旭日小綬章をそれぞれ受章されました。お二人とも地域での長年の功績を評価されての受章です。本来ならそれぞれの議連のトップがお祝いに駆け付けるところですが、共にスケジュールが合わず、自分が『会長代理』として出席してきました。商店街の活性化とボーイスカウトの振興は、どちらも私が地元で力を入れているテーマなので、これまでも積極的に議連に参加していたのですが、1週間に2回も素晴らしいお祝いの会にお招きいただけるとは思っていませんでした。お二人に心からお祝い申し上げます。しかも会場は、それぞれ平塚と湯本。ちょっとしたドライブ気分で公務をこなすのは県会議員の特権ですね。

その他の活動としては、横浜南ロータリークラブの国際奉仕活動の一環で、関東学院の三春台校舎をお借りして日本の文化伝統を海外からの留学生に体験してもらうイベント「和の集い」に参加したり、恒例の南区一大イベント「みなみ桜まつり」に参加して2日間蒔田公園の中をウロウロ食べ歩いたり、相変わらず多忙?な日々を送っていました。特に「和の集い」では、ちょいと知り合いの津軽三味線を弾くアメリカ人!ザックと話が出来たり、「みなみ桜まつり」では、ちょうど横浜に来ていた参議院議員の橋本聖子さんのアテンドを仰せつかったりと、思いもよらぬ再開がありました。会社員時代からイベント運営にはかかわってきましたが、やっぱりこの雰囲気はいつまでたってもいい物ですね。

3月の最後を飾るのは、3/28に開催した「~議員活動10周年記念~新堀ふみあき春の集い」のご報告です。毎年2月の上旬に行っている「新春の集い」が南区の市会議員の補欠選挙と重なり、やむを得ず延期し改めて「春の集い」として開催しました。この4月に県会議員になってちょうど丸10年ということもあり、サブタイトルを付けての開催。年度末の忙しい時期にもかかわらず、約400名の皆様と盛大に10周年を祝うことが出来ました。司会のFヨコDJ栗原治久さんを筆頭に、古巣の京急アドの仲間たち、若手後援会「新風会」の皆さん、我が事務所スタッフのDちゃんK ちゃんのおかげで本当にスムーズな進行でした。特に10周年動画を制作してくれた姪っ子のK ちゃんはお疲れ様でした。ありがとう。またお忙しい中、お祝いのメッセージビデオを送ってくれた菅義偉副総裁・三原じゅん子大臣・小泉進次郎県連会長・黒岩祐治神奈川県知事・中日ドラゴンズの小池コーチにも感謝です。ご来賓として祝辞をいただいた皆様や各後援会の幹部の皆様もありがとうございました。そしてなんと言っても、ご参加いただいた多くの支援者の皆様に心から御礼申し上げます。議員として10年の月日が経ちましたが、まだまだ力不足の私です。これからも神奈川県民のため、大好きな南区のため精進して参りますので、ご支援くださるようよろしくお願いいたします。

     

            

慌ただしい3月でしたが、10年という一つの区切りがついたと思います。ある方から「初当選からずっと毎月の活動報告のブログを欠かさず続けている事は本当にすごい」とお褒めの言葉を頂きました。このブログを見てくれている人はほんの一握りの方々かもしれませんが、こうした言葉がとても励みになります。まさに「継続は力なり」ですね。令和7年度も新たな気持ちで活動ブログの更新がんばります!よろしくお願いいたします。

 

3月 11 3月11日

2025年2月 活動報告

3月に入っていきなり20度を超える日があったかと思えば、また寒波が来て雪まで降りました。寒暖差が激しく体調管理が難しいですね。大船渡の山火事も大変心配されるところですが、応援のため神奈川県の消防隊員345名が岩手県に派遣されました。雨や雪のおかげで収束に向かってはいるようですが、被災地の皆さんのために頑張って欲しいと思います。

さて、2月の活動報告を始めます。神奈川県議会令和7年第1回定例会は2/12にスタートしました。本会議・常任委員会・特別委員会を経て、3月中旬には次年度予算案を審議する予算委員会が開催されます。ちなみに予算・決算の委員は隔年で回ってくるのが慣例であり、今年度自分は決算特別委員会に所属したため、予算委員会は「高みの見物」と言っては語弊がありますが、出番はないので精神的にも時間的にも余裕があります。最終的には3/25の本会議をもって第1回定例会は終了。物価高騰・人手不足・災害対策など多くの課題に苦しむ県民を支援するための大事な予算案ですから、しっかりと審議していきたいと思います。この結果は、また次月の報告までお待ちください。

今年の2月は、珍しく2/5~2/7の3日間で県外視察が開催されました。例年であれば11月頃に行われる特別委員会の県外視察ですが、昨年10月に衆議院選挙が行われたことで議会日程が変更され、本来10月開催の決算特別委員会が11月にずれ込んだ影響で、特別委員会の視察が2月開催となったのです。真冬の県外視察は過去を振り返っても記憶がなく、同僚議員らと「寒いからどうせ行くなら南の方がいいな」などと冗談交じりに話していましたが、実際に自分が所属する安全安心特別委員会の視察先は九州の大分県に決定。少し安心して当日を迎えましたが、現実はそんなに甘くありませんでした。おりしも今季最強寒波が日本海側に居座り、関東はいい天気なのに九州の福岡や大分は大雪の予報!九州でそんなことあるかなぁ…と半信半疑で空路大分へ向かいましたが、空港に着くとそこは雪と強風の極寒の世界…。もっと厚着をしてくれば良かった、と後悔したところで後の祭りとなりました。

そんな悪天候の中、初日は大分県庁を訪問し、まずは「大分県水道広域推進プラン」の説明を受けました。中でも印象的だったのは、人工衛星による漏水判定の取組でした。大分県内の水道管の漏水率は、全国平均の約1.5倍と高い状況にあり、国の「デジタル田園都市国家構想交付金」を活用し、令和5年度に導入を決めたそうです。人工衛星から送られる画像データと水道管位置情報をAI解析し、漏水が疑われるエリアを半径100mで判定するシステムは、既に愛知県豊田市などが導入しているようで、従来の漏水調査の効率を大幅に改善すると言われています。県内18の市町村が参画を決めているとのことで、これからの取組が注目されます。埼玉県八潮市の陥没事故など、こうしたインフラの老朽化などをチェックする取組は、今後行政の重要課題になってくるでしょう。ちなみに神奈川県内の口径2m以上の下水道調査結果は、現状陥没の可能性がある箇所は見つかりませんでした。

また大分県は、大分空港と中心街である大分市のアクセスが悪く、移動に時間がかかるという課題があります。その解消に向け県が取り組んでいるのが、ホーバークラフトによる海上交通です。以前は空港と主要都市を結ぶホーバークラフトが民間で運航されていましたが、リーマンショック後に運航を休止していました。現在は県が主体となって、昨年2月に大分市内に新たなターミナルを整備し、一般競争入札により事業者を公募。昨年11月より湾内周遊を開始し、令和7年度には、本格的に空港とのアクセスを開始する予定です。実は神奈川県も昨年から、江の島の湘南港を起点に海上交通「かながわシーライド」を開始しています。互いに切磋琢磨して、県民の利便性向上のため努力していければと思います。その後は県庁を後にして、ホーバーターミナル「ホボッタ」も見学させていただきました。洗練された施設に感嘆し、ホーバークラフトのデカさに驚かされました。しかし、港は風が強くとにかく寒かった!鼻水たらしながら初日の視察を終えました。

視察2日目の午前中は天気も落ち着き、少し足を延ばして臼杵市に伺い同市の防災対策について調査しました。臼杵市は大分県の東南部にあり、豊後水道に面した風光明媚でのどかな海辺の街ですが、30年以内の発生率80%と予測されている「南海トラフ地震」の危機と常に背中合わせです。いつ来るともわからない地震や津波に備え、高台への避難誘導や備蓄倉庫など防災拠点のハード対策の整備はほぼ完了しており、準備の良さを感じました。また、避難行動要支援者のため名簿を作成し、それぞれの個別避難計画を策定するなど、約6,000名と言われる要配慮者への細かい配慮が行き届いていました。もちろん人口などの行政規模により可能な取組かもしれませんが、我々が暮らす都市部においても大変参考になる取組でした。

そして午後は、九電みらいエナジー(株)の八丁原発電所を視察。海辺から山岳部への移動ですが、そのころからまた天気が怪しくなってきます。九重連山の地熱を活用している八丁原発電所は山奥に位置していますので、前日からかなりの積雪があったらしく、移動中のバスの車窓は見る見るうちに白銀の世界!横殴りの雪も降り始め、ここは本当に九州か?と我が目を疑いました。結局、発電所まで残り100mくらいのところで、とうとうバスは積雪のため坂道を登れなくなってしまいました。 バスを降りスーツと革靴で上る坂道はまあまあ危険でしたが、何とかたどり着き視察を開始します。発電所の方も「めったにない」と言っていた天候なので、何ともすごいタイミングで来てしまったようです。しかし、分散型エネルギーとしての地熱発電は注目されており、自然災害に備えた電力供給システムの強靭化の必要性は高まっています。地熱発電の仕組みを初めて知りましたが、実によく考えられたシステムで感心しました。説明すると長くなりますので割愛しますが、神奈川県にも箱根という火山があるので、大いに参考になりました。いやー、それにしても寒かった!一番印象に残ったのは、吹き付ける雪と徒歩で上る坂道だった、と感じているのは私だけではないと思います。

最終日は、大分大学の「減災・復興デザイン教育研究センター」を訪問。同センターは「調査研究」「防災教育」「復興デザイン」を3つの柱として、地域と連携しながら活動を行っています。特に大分県、大分市などと災害対策における連携協定を結んでいて、防災活動における人材育成や支援、災害調査とデータの共有等を実現しました。研究室には、過去の台風・地震など様々な災害のデータが蓄積されていて台風の進路や地震の揺れの分析も可能です。一番印象に残ったのは、阪神淡路・東日本・熊本に昨年の能登半島から、まだ起きていない南海トラフ地震まで、あらゆる国内の地震の揺れを再現できるシステムでした。実際に体験してみて、大地震の揺れを経験しあまりの激しさに言葉を失いました。こうした経験が防災意識を高めることは間違いなく、多くの人に体験してもらいたいと思います。残念ながら神奈川でこうした研究や活動を行っている大学はまだないようですが…。今後に期待したいと思います。

以上が「雪の大分、極寒視察」の大まかな内容です。天候には恵まれませんでしたが、充実した視察となりました。

視察の報告でかなり長くなってしまったので、その他の活動は駆け足で簡単に報告します。

2月にもう一回、県内の日帰り視察がありました。場所は「県立がんセンター」です。がんセンターは自分にとって3回目の視察になりますが、来るたびに施設が充実しているのが解ります。しかし、重粒子線治療を筆頭に、まだまだ広く県民の方々が利用できる状況には至っていません。今回は、ロボット支援下手術の有効性を学びました。「ダヴィンチ」システムを実際体験させていただき、予算というハードルはありますが、更なる配備が必要と感じました。

公務以外では、昨年から任命された自衛隊募集相談員の一員として、初めて「自衛隊入隊激励会」に参加しました。国民の命を守る重要な任務に自ら挑戦してくれた若者たちに感謝です。これからも応援していきたいと思います。

また、少年野球ボーイズリーグ「横浜南ボーイズ」の顧問を務めている関係で、「日本少年野球連盟神奈川支部創立50周年式典・祝賀会」に招待されました。我がままを聞いて祝辞をいただいた県教育委員会・花田教育長、三枝スポーツ担当局長には心から御礼申し上げます。ありがとうございました。そして、中学時代のクラスメートで連盟の幹部を務めている大谷正剛君、おめでとう!お互い還暦を過ぎましたが、まだまだ頑張りましょう。

そして、親友であり議会では先輩の加藤元弥県議会議員「県政報告会・新春の集い」にも参加し、激励してきました。サラリーマン時代で10年、議員になって10年。いろいろお世話になりました。これからもよろしくお願いします。

最後に、最近一番うれしい報告をします。地元南区にある県立横浜清陵高校が、21世紀枠で春の甲子園選抜野球大会に出場することが決まりました!地元に2校しかない県立高校の一つということもあり、議員になってからは卒業式や入学式にご招待いただき、今や統廃合でなくなってしまった我が母校の代わりにいつも応援している学校です。現在の佐藤部長・野原監督体制になってからチームとしてメキメキ頭角を現し、近年は県大会ベスト8も珍しくなくなった横浜清陵。5年前に野原監督が就任するときのエピソードなども当時の校長先生から伺っていたので、21世紀枠とは言え県立高校として71年振りの甲子園出場は感慨もひとしおです。そんな横浜清陵ナインが山口校長を筆頭に、佐藤部長・野原監督と共に地元の南太田と弘明寺に報告に訪れてくれました。挨拶の中で「南区の代表として」と言っていただいた瞬間は胸が熱くなりました。山本主将が言った「甲子園で1勝!」の実現を心からお祈りします。がんばれ横浜清陵!

2月の活動報告、長々お付き合いいただきありがとうございました。いつもなるべくコンパクトに報告を、と思っていますが、いざ書き出すとあれもこれもと欲張ってしまいます。短く・わかりやすくを目指し、来月も頑張りますのでよろしくお願いいたします。

2月 11 2月11日

2025年1月 活動報告

今季最強の寒波襲来。いやー、寒いですね。横浜も今年一番の冷え込みが続く今日この頃ではありますが、実は先週、視察で大分県に行ってきました。九州なのに関東より気温が低く雪まで積もっていて、九州だからこっちよりは暖かいだろうと油断し厚着も持って行かず、すっかり体調を崩してしまいました。風邪気味で鼻水をすすりながらではありますが、1月の活動報告を始めたいと思います。

1月は議会が開催されず、町内会・企業・団体など、とにかく各種新年会・賀詞交換会を廻る毎日が続きます。今年も60件近い会合にお招きいただき、物理的に可能な限り出席させていただきました。ピークは1/18の一日6件!さすがに一人で運転して全会場を廻り切るのは難しく、この日は菅事務所のO君に運転手をお願いしてなんとか全ての会でご挨拶することが出来ました。昨年の1月はコロナ明け初の新年で、新年会も全て復活とはいかず通年と比べても8割ほどの開催でしたが、今年はほぼ『完全復活』と言えるのではないでしょうか。新年会は2月中旬まで予定があり、全部終わったわけではありませんが、とにかく忙しい1か月でした。

1月唯一の公務は、安全安心特別委員会の県内視察。1/27に「羽田イノベーションシティ」を視察して来ました。羽田空港に隣接した施設なので住所は大田区ですから、正確に言えば県内ではありませんがそこは大目に見てやってください(笑)。羽田空港と言えば、サラリーマン時代に仕事で数え切れぬほど通った思い出の場所です。京急の新駅(現在の第3ターミナル駅)開業に当たり、羽田空港で様々なプロモーションやイベントを実施してから、もう15年の月日が経ちました。京急線は地下駅なので、当時は地上に上がると空港ターミナルビル以外の建物は見当たらず、ただ広い敷地が広がっているだけでしたが、数年前には多摩川スカイブリッジも誕生し、空港周辺の発展には目を見張るものがあります。羽田イノベーションシティは羽田空港跡地利用の第1期事業で、大田区らしい「ものづくり」を中心とした地域経済や国際競争力の強化・発展を目的とした拠点です。大田区が設置した産学官の交流スペースの他に飲食店などのテナントスペースに加え、空港が一望できる足湯スカイデッキなどもあり、なかなか充実した街づくりになっていました。その中でも、今回委員会が注目したのがレベル4の自動運転で施設内を走行する無人バスです。現在、定時運行による実証実験により今後の実用化に向けた取り組みが進行中の自動運転バス。実際に乗車させていただきました。敷地内の建物間を移動するには十分な性能であると感じましたが、やはりスピードが遅かったり、急に前方を人が横切ったりすると即停止してしばらく発車しないなど、公道を走行するにはまだ多くの課題があるとも感じました。しかし既に、京急バスと大田区による京急大鳥居駅と羽田イノベーションシティを往復する公道での自動運転バスの実証実験も1/24~2/23の期間限定で始まっています。今後の検証に期待したいと思います。

     

さて1月の報告の最後に、やはりこの出来事に触れないわけにはいかないでしょう。我が地元、横浜市南区では市会議員の辞職に伴う補欠選挙が行われています。突然、議員辞職したのは同じ自民党の遊佐大輔元市会議員です。菅元総理の秘書から市会議員に転身して4期目の途中でした。年齢は自分よりも18歳も若いのですが政治の世界では1期先輩にあたり、自分の初出馬の時からいろいろとお世話になりました。その時以来、県議と市議なので仕事のステージは違いますが、地域の陳情をお互い連携して対応したり、衆院選や参院選などの国政選挙では共に街頭に立って自民党候補者の当選に向け戦ってきた間柄です。そんな遊佐さんが体調を崩され、地元の会合やイベントに一切姿を見せなくなったのが昨年の3月頃でした。本人からかなり難しい病気だと聞き、ひたすら復帰を願いながら地元の支援者には「体調が戻れば必ず復帰しますよ」と説明を繰り返していました。昨年秋の衆院選でも、本人から体調を理由に手伝えない旨の報告を受け、病状はかなり悪いのだろうと予想していました。そして昨年12月中旬、遊佐さんから「直接会って話がしたい」と連絡があったときは、ついに病気のため仕事が続けられなくなったのか、と悲しい想像をしてしまいました。しかし実際に会って聞いた話は、想像を超えて自分の耳を疑うほどの内容でした。詳細についてはここでは敢えて控えます。要点だけ簡潔に言えば、病気は4月頃に完治していた、3年前から市会議員という職に限界を感じていた、休んでいた間にカンボジアに渡り起業した、事業が軌道に乗ったので議員を辞職する、という内容でした。あまりに突然のことで、驚愕すると共に様々な感情が胸中をよぎりましたが、とにかく私から強く言ったのは「せめて残りの任期2年は全うして欲しい」ということです。まだ43歳という若さですから、この先の人生他の仕事に就きたいという思いを否定するつもりはありません。しかしながら、3期連続トップ当選を果たした地元の人気者で、地元支援者はもちろん政界・財界からも期待されていた議員が、任期半ばで自己都合により職を投げ出すのは身勝手・無責任と言われても仕方ありません。補選になれば1億円近い費用がかかり税金の無使いですし、なんといっても投票してくれた有権者への裏切り行為となります。懸命に説得を試みましたが本人の意志は固く、結局その数日後遊佐さんは辞表を提出しました。

このブログを更新しているのは補欠選挙の投票日です。結果はどうなるかわかりませんが、自民党横浜市連は今回の不祥事ともいえる状況を鑑み、候補者の擁立を断念しました。自分は当初、2年後に迫る統一地方選を見据え何が何でも候補者を立てて戦うべきだと主張しましたが、その後の地元の反応、特に自民支持層の失望や怒りを直接聞くことにより、今回は敢えて1議席減らしてでも反省すべき状況なのかもしれないと考えるようになりました。辞めていった人のことはもう何も言いません。これから考えなければいけないのは、2年後の統一地方に向けいかに信頼回復に努めるかだと思います。もちろん自分の県議選を全力で戦うことが前提ですが、自民党南区支部としての次の市議選はいわば「出直し選挙」となります。南区支部一丸となって選挙戦に臨む覚悟を決めました。

昨年末からこの1月は衝撃と心労の約一か月間でした。どの新年会に出席しても話題は「市議辞職」ばかりで疲れました。今は早く補選が終わって、新たなスタートをしたいと切に願っています。また、自分が今の仕事を辞める時はなるべく人に迷惑をかけず、スムーズに後任に引き継いでいくことがいかに大切なのか、改めて考えさせられた日々でもありました。でも、自分はまだしばらくは議員として頑張りますので、今後ともよろしくお願いいたします!

 

1月 15 1月15日

2024年12月 活動報告

少し遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。本年も新堀ふみあき公式サイトの「活動報告」をよろしくお願いいたします。さて、年末年始は例年通り忘年会・新年会のラッシュで多忙を極めますが、今年はそれに加えて地元ではまさかの大事件が発生し、とにかくドタバタでした。一部報道もされていましたが、12月20日に同じ選挙区の自民党市会議員、遊佐大輔さんが議員を辞職されました。任期を2年以上残しての突然の辞職に地元南区では大きな衝撃が走り、その後も波紋は広がっています。彼は4期目で、政治の世界では私の1期先輩にあたりますが、年齢は18歳も年下で弟のような存在でもあり、この10年間ともに地元のため働いてきた仲間だったので、私自身この件は大きなショックを受けました。言いたいことは多々ありますが、このブログはあくまで私の「活動報告」であり、ここでこの件についてはこれ以上言及するつもりはありません。自分は引き続き、地方議員として県民や地域のために地に足を付け活動していきます。

さて、昨年秋ごろから活動ブログの更新が後手後手になってしまい、かなり遅いタイミングでの報告になってしまっているので、少しでも取り戻すために気合を入れていきたいと思います。今回は、昨年12月の活動報告です。

県議会第三回定例会(後期)は11月末からスタートして12月19日に無事終了しました。主な議案は県職員等の給与改定に伴う条例改正等が上程され、維新・共産が反対しましたが賛成多数で可決されました。物価高騰の折、役人や議員だって生活するのは大変です。ボーナスがほんの少し上がるのは認めても良いと思うのですが…。ちなみに私が所属する文化スポーツ観光常任委員会は、人件費等は所管でないため平和?に終了しました。ただし、今回は旅券発行や収入証紙についての条例改正が議案に上がり、今後パスポートのオンライン申請が可能となったり一部申請料に変更があったりしますので、この先海外旅行を計画されている方は、詳細を県ホームページ等でご確認ください。

議会の報告はあっさりこの程度にして、その他の活動を報告いたします。12月で一番印象に残っているのは、実は議員としてではなくロータリアン(ロータリークラブの会員のことです)としての活動なんです。今年度自分は、所属する横浜南ロータリークラブでプログラム委員長を仰せつかっています。プログラム委員長とは、年間の例会における卓話(専門家・有識者などを招き講演していただくこと)の人選・依頼を主な仕事としています。今年度は年間で約20名程度のゲストを呼ぶ計画になっていて、誰を呼ぼうかと常に頭を悩ませている状態です。委員長になったのは昨年7月ですが、就任当初から今年度我がクラブの会長であるAさんから「ゲストに三原じゅん子さん呼べないかな…俺大ファンなんだよ」とプレッシャーをかけられており、かなり前から三原じゅん子参議院議員に直接お願いしていました。秋には衆院選なども予想されたため、ひと段落しているであろう12月7日の卓話を依頼し快諾していただいたので、実際自分も安心していたのですが…。その後発足した石破内閣で、三原じゅん子さんが大臣に任命され状況は変わります。国会議員の中でも親しくさせていただいている三原さんが大臣に任命されたことは本当におめでたいことで、自分もすぐに直接お祝いを伝えて喜んでいたのですが、クラブのメンバーからは「大臣になったら卓話なんて来る暇ないんじゃない?」との意見。「確かに…(汗)」と思い、慌てて再度お願いしたところ秘書官から「余程のことがない限り本人も行くと言っています。ご安心ください」との返事がありホッとしました。その後「余程のこと」も起こらず、三原大臣には無事に我がクラブで卓話をしていただきました。ただし、会場内にSPが数人立って常に目を光らせる、という異例の例会にはなりましたが…(笑)。お話のテーマは「地方創生と女性・若者の活躍」で、大変勉強になりました。お忙しい中、約束を守っていただいた三原大臣に心から感謝申し上げます。ありがとうございました!それにしても現職の大臣が卓話をしたクラブって他にもあるのでしょうか?結構レアだと思うのですが。

ロータリークラブと言えば、もう一つ!社会奉仕活動の一環で毎年訪問している「リラのいえ」に、今回はエアコンの清掃と正月飾りのお手伝いに行ってきました。エアコンは素人が手を出して壊してしまうと洒落にならないのでプロにお任せし、我々はクリスマス装飾から正月飾りへの付け替えを担当しました。ただ自分はこの時、「リラのいえ」に向かう途中で派手に転んでしまい、右膝を激しく打ちズボンは破れ血が滲んでいました。でも職員さんに元看護師の方がいて、応急処置をしていただいて助かりました。写真を撮るときだけ無理に笑顔を作りましたが、実はすごく痛かったです。せっかくお手伝いに行ったのにほぼ戦力外でした(涙)。その後結局痛みが治まらず、正月早々病院で診てもらう羽目に…。少し坂道ではありましたが、障害物もない道でつまずいての自爆。多分以前なら十分踏みとどまれたと思います。足腰弱ってますね、完全に。自らの加齢をまさに「痛いほど」感じた年末年始となりました。

地域ネタ満載の12月。次は地元の餅つき大会です。餅つきと言えばお正月をイメージする方も多いと思いますが、我が地元では地域によって12月と1月に二分されます。12月に餅つきを行う地域では、正月の準備を年内に済ませておくのが習慣のようです。私の自宅がある地域は「12月派」。神社の境内で盛大に餅つき大会が開催されました。当選1期目の頃は、あちらこちらの町内会にお邪魔して餅をつきましたが、翌日はだいたい腰痛に襲われ車の乗り降りがままならない状態です。もともと腰痛持ちでもあるので、2期目からは極力『応援』に回るよう心掛けています。しかし、自分の住む町内だけは別です。今年も少しだけ餅をつかせていただきました。まあ、毎年「へっぴり腰!」と笑われるのがオチなんですけどね(涙)。でも、日本の伝統文化っていいですよね。少子化や町内会離れが危惧される昨今ですが、この日も多くの人がお子さんを連れて集まっていました。この風景は、絶対に受け継いでいかなければ、と強く思う今日この頃です。

後援会の活動としては、新風会恒例の「ボウリング大会&忘年会」を今年も開催しました。去年、コロナ明けで久々に実施して2年連続の開催です。ボウリングは2ゲームのスコアのトータルで順位を決めるのですが、毎回1ゲーム目が良くて2ゲーム目がボロボロ…。2ゲーム目は握力が確実に落ちているのが解りました。投げる途中で球がボトッと落ちたりして…。あー情けない。こう言うところでも年齢を感じますね。

その後は、表彰式も兼ねた忘年会を開催。忘年会のみ参加の人も合わせ総勢約40名で盛り上がりました。このメンバーが、初当選から自分を支え続けてくれている頼もしい仲間です。『若手』と呼ばれていた新風会のメンバーも、今や50代が中心。初老と言われても仕方ない年齢になりましたが、未だにみんなパワフルです。自分は最近酒を自粛しているのですが、ノンアルコールビールでも十分盛り上がった楽しい夜でした。みんな、ありがとう!これからもよろしくお願いします。

また、すが義偉後援会主催による南区支部の忘年会も開催され、菅元総理も真理子夫人とともに久しぶりに参加されました。世間では、YouTubeの動画などで菅さんの健康面での不安を面白おかしく載せていますが、ほとんどが誇張と「切り取り」です。衆院選以来、久しぶりにお話ししましたがとてもお元気でした。スピーチもしっかりお話ししていて、不安を感じるような場面はありませんでしたよ。ああいった類の投稿には本当に悪意を感じます。最近、兵庫県知事選や元SMAP中居くんの件など例にとっても、SNS上の情報は多岐にわたり拡散のスピードも凄まじいものがあります。便利ではありますが、情報の信憑性など判断が個々に任されて難しい時代ですね。今後、時代に合わせたルール作りも必要になってくるのではないでしょうか。とは言いながら、自分もSNSを活用して活動報告をしていますが…。

最後は年末恒例、12/10~12/16の「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」に合わせて行う県議会拉致議連による「拉致被害者全員の帰国を求める署名活動」です。今年も桜木町駅前で実施しました。11月の報告でも触れましたが、我々地方議会の役目は拉致問題を風化させないこと。この日も2時間で約300筆の署名が集まりました。最も印象的だったのは、署名をしてくれた男子高校生3人組。「拉致って知りませんでした。日本は舐められてますね」「北朝鮮ムカつく!」の言葉は、風化の危惧と頼もしさの両面を感じさせるものであり、この活動は拉致問題が解決する日まで絶対に続けていくべきと、改めて強く感じました。三人としばらく立ち話をしていると、一人の生徒が私の地元の中学出身なのもわかり「イェー!」と妙に盛り上がります。10代とコミュニケーションが取れたことが、60代のオジサン的には最も嬉しい出来事でした。

ブログの更新は始めるまでは億劫なのですが、いざ始めると「あれもこれも」とついダラダラと書いてしまいます。でも、ようやく追いついて12月までの報告ができました。いつもチェックしてくれている友人に、1月中旬までに12月分をアップする、と宣言していただけに約束が守れて良かったです。

今年もブログの更新がんばります。引き続きよろしくお願いいたします。

12月 29 12月29日

2024年11月 活動報告

令和6年も、もうあと数日で終わります。いよいよ「議員あるある」の年末年始の繁忙期に突入したわけで、なんとかその前に11月の活動報告をアップしよう!と思いながら気が付けばもう年末。油断していました(涙)。更に我が選挙区・横浜市南区では、想定外の出来事が発生し大混乱。一時はブログ更新どころではなくなってしまいました。このことは、また改めてコメントしたいと思っておりますが、とりあえずは、急いで11月の報告をはじめます。

今年11月の県議会と言えば、なんといっても決算特別委員会でしょう。通常は10月後半がメインで開催される決算特別委員会ですが、今年は急遽の解散総選挙の影響で半月ほど予定が後ろ倒しになり11月に開催となりました。日頃我々は、決算特別委員会を短縮して『決特』と呼びますが、この『決特』は前年度の決算報告を議会としてしっかりチェックすることで、次年度予算案に活かすため議論する場として大変重要な委員会となります。4年ほど前には副委員長として参加した『決特』ですが、今回は委員長として委員会運営を任されました。通常、常任委員会などは3~4日の日程で行われますが、『決特』は9日間と長丁場です。更には12月の定例会初日の本会議で委員長報告まで務めることとなり、かなりハードな役目だと言われていますが、誰もがで経験きるような役職ではないので、大変名誉なことだと思い張り切って臨みました。

初日の当局説明から始まり2日目の現地調査、その後の質疑に6日間をかけ最終日に意見発表まで行う行程はなかなかのボリュームです。ただし一般の委員の場合、期間中の出番は2~3回程度で長くても1回1時間程度となりますが、委員長ともなれば連日朝の10時半から終了の17時まで気を抜くタイミングがありません。ある程度予想はしていましたが、実際にやってみてその過酷さがわかりました。通常の委員会では、委員の人数はだいたい12~15名程度なのに対し『決特』は34名。扱う議題は全ての局と関連機関のものであり、答弁を担う県当局出席者は50~60名にもなります。発言の都度、委員や県職員の名前や役職を呼ばないといけないので、先ずこれを覚えるのが大変でした。やはり何回か名前を間違えて読んでしまい、申し訳ないことをしたと思っています。また、一瞬でも他のことを考えたりすると議論の推移がわからなくなってしまうので、一語一句しっかり聞いていないといけません。委員長ですから当たり前のことだと思われるでしょうが、これが結構大変なんです。しまいには、日頃仲の良い同じ自民党の後輩議員の名前を間違える「やらかし」などもあり、先輩・同僚議員から失笑も買いました(涙)。しかし、これもよい経験です!県職員の方々の名前もいっぱい覚えましたし(負け惜しみです)、普段はあまり得意としない分野の質疑もしっかり聞いて勉強にもなりました。前年度の決算状況をしっかりチェックして、来年度予算に繋げられる良い議論が出来たのではないかと思います。頼りない委員長をフォローしていただいた栄居副委員長、神倉副委員長、議会局のM君にも感謝です。お疲れ様でした!

その他の公務としては、なんと議員1年目の平成27年以来2度目の「議会報告会」に参加しました。「議会報告会」とは、県民に対し県議会をより身近に感じていただくため、普段県庁で開催している特別委員会を県内各地に赴き、県民参加のもと公開で質疑を行う年1回の取り組みです。4つある特別委員会のうちの一つが担当し、今年度は自分が所属する安全安心特別委員会が、会場を横須賀芸術劇場に移し11/20に実施されました。実は自分は通常の特別委員会に所属するのは今回が4回目で、他の議員と比較しても少なめです。なぜかと言えば、コロナ禍の3年間は臨時に立ち上げられた新型コロナウイルス感染症対策特別委員会に所属していたため、通常の委員会には入らなかったのがその理由です。ということで、9年振りの「議会報告会」への参加となりました。テーマは「地震災害対策の取組および風水害等対策の取組」です。特に今年は能登半島で大きな地震や豪雨による被害が立て続けに起きたこともあり、大変注目されるテーマでありましたが、結果多くの県民にご来場いただきました。質疑では1期生2期生中心に、被災者支援の問題や災害時の在日米軍との連携、神奈川県が運用を開始したLINEの「かながわ防災パーソナルサポート」について取り上げました。被災者の中には、高齢者も障がい者もいます。そうした方々の命を守るために避難所の設備を充実させることも重要な取組です。今後小中学校の体育館などに空調設備を完備するため、国に働きかけ将来的に予算化できるよう努めます。

 

また11/23には、恒例の「全拉致被害者の即時一括帰国を求める国民大集会」が開催され、神奈川県議会拉致議連の事務局長として永田町の砂防会館に行ってきました。石破内閣になって初の集会となりましたが、石破総理・林官房長官ともに力強く、解決に向け北朝鮮との首脳会談の実現を目指すとの言葉がありました。しかしながら、ご存じの通り拉致問題は長きに渡り進展が見られません。来年、米国のトランプ政権が復活することを契機に、石破総理には是非突破口を開いてもらいたいと願います。また同時に、我々地方議会の役目はこの拉致問題の風化を防ぐことだと考えます。私は今年9月の代表質問で「北朝鮮による拉致被害者を救出する知事の会」会長でもある黒岩知事に、拉致を知らない若者たちへの啓発について質問しました。その結果、この12月に黒岩知事と横田めぐみさんの弟である拓也さんが県立城郷高校を訪れ、現役高校生と意見交換をする画期的な企画が実現しました。日本人は決して拉致問題を忘れない!この想いをしっかりと繋いでいきたいと思います。

その他の活動で印象的だったのは、日頃より面倒を見ていただいている柳下剛神奈川県議会議長の就任を祝う会に、副団長としてお手伝いも兼ねて出席したこと、父・豊彦の代よりお世話になっている神奈川県女流美術家協会さんの表彰式にプレゼンターとしてお招きいただき県知事賞などを贈呈したこと、「あーすフェスタかながわ」開会式に文化スポーツ観光常任委員会の副委員長として訪れた「あーすプラザ」がとても久しぶりで懐かしかったこと、YBBL(横浜市少学生野球連盟)秋季大会の閉会式に出席したら、あまりにも青空がきれいで思わず写真を撮ってしまったこと、などでしょうか。様々あった11月でしたが、気候も安定し、衆院選でボロボロになった身体のリハビリ?を兼ねた丁度良い忙しさの毎日だったと思います。

  

一年経つのは早いですね。2024年ももう少しで終わります。振り返れば元旦の能登半島地震から始まり、県議団の副団長就任、政務活動費連絡会の座長、初の代表質問、総裁選、衆院選など目まぐるしく過ぎた一年でした。今年は議会でもそれ以外でも、様々な役目・仕事を与えていただき、やりがいがありつつも欲張りすぎてオーバーワークになりがちな1年だったと感じています。自分としては他にやりたい事もたくさんありましたが、余裕がなくてなかなか叶わない状況でした。もう少し自分のペースで活動すべきだったと反省も踏まえ、来年に活かしていければと思っています。今年一年、大変お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。