活動ブログ

3月 10 3月10日

2024年2月 活動報告 

3月の声を聞いても寒い日が続きますね。晴れれば日中は暖かい日もありますが、朝夕は本当に冷え込みます。体調管理に気を遣いながら、一年で最も忙しい1~3月を迎え、多忙な毎日を過ごしています。1月の報告がだいぶ遅くなってしまったので、2月の報告は早めに!と思っていましたが、結局3月も10日が過ぎてしまいました。時が経つのは早いものです。

2月に入って議会が始まるまでの約2週間、この時期には珍しく2つの視察がありました。一つ目は、2/1に行われた共生社会推進特別委員会の県内視察で「中井やまゆり園」を訪れました。県立の障がい者施設「中井やまゆり園」はここ数年、虐待事案などが多発し、悪い意味で注目を集めていました。共生社会の実現を目指す神奈川県としては、お膝元の県立施設での度重なる不祥事に対し、外部アドバイザーを常駐させるなど対策を行ってきましたが、改善に向けてはまだ道半ばといったところです。それでも街中に施設外作業スペースを設けるなど新たな取り組みを導入し、重度の障害を持つ入居者の皆さんにも少しずつ協調性と笑顔が戻って来たと聞きます。この日は、午前中に秦野駅にほど近い作業スペース「らっかせい」を視察し、午後は中井やまゆり園を視察しました。特に「らっかせい」では各委員が入居者の中に混ざって、牛乳の紙パックを解体する作業を手伝いました。なかなかできない体験だったと思います。数か月前まで真っ暗な居室から出てこなかった方が、今はこうして施設の外に出て作業をしているところを見て、アドバイザーの的確な指導と職員の方々の努力が垣間見れました。昨年秋に同委員会の視察で、私自身初めて福岡の障がい者施設を視察した時の先に見えない不安感と比べ、今回は一筋の光が見えた気がしました。もちろん、根本的な改善には長い時間を要すると思いますが、今後に期待が持てる視察となりました。

2つ目は、2/9に自民党防衛議連のメンバーによる「キャンプ座間」の視察です。まず、相武台の駅から住宅街を抜け徒歩数分の距離に、日米合同の広大な基地があることに驚きました。もともとは、第2次世界大戦中に帝国陸軍の訓練施設として使用された基地だそうです。ちょうどお昼時に到着したので、自衛官の皆さんと同じ食堂で同じメニューの昼食(この日は豚骨ラーメン!)をいただきました。その後、講堂でレクチャーを受けてから自衛隊の様々な装備や資料展示室などを見学し、続けてマイクロバスに乗り「座間ツアー」と呼ばれる米軍施設を車内から視察するコースを体験。最後は、昭和天皇が戦時中視察に来られた際の防空壕(実際は使用されなかったようです)や、昭和12年に天皇陛下自らが命名された『相武台』の地名にちなんだ「相武臺碑」も見学。貴重な経験となりました。1月に能登半島地震があったばかりということもあり、やはり注目だったのは災害時に活躍した自衛隊の装備の数々でした。橋のない河川に仮設の橋を架ける重機などは圧巻としか言いようがありません。また海外の戦場跡地で地雷を撤去するための車両も興味深かったです。どこかの政党は、自衛隊が憲法違反で防衛費の増額は軍事力を増強だ、などと寝ぼけたことを言っていますが、こうした装備のどこが軍事力なのか…。国民をあらゆる危機から救えるのは自衛隊以外にありません。これからも応援し続けていく気持ちがますます強くなった視察となりました。

そして2/13からは神奈川県議会の令和6年第一回定例会が始まりました。2~3月に行われる第一回定例会は、次年度当初予算案を審議する大切な議会です。また今定例会では本会議一般質問で自分の登壇もあり、6~7項目の質問の準備にも時間がかかります。持ち時間30分に対して、約1か月半前から打ち合わせが始まり、自分がやりたい質問を実現するための『勉強会』と称する県当局との攻防?はタフな精神力が必要です。紆余曲折ありましたが、今回もなんとか満足のいく質問になったのかな、と思っています。しかしながら、ここで一般質問の内容を説明するとあまりに長文となってしまいますので、本会議から常任委員会、特別委員会、予算委員会と続く定例会については、後日改めて詳細をご報告させていただきます。そう言えば、すっかり2月の恒例となった「ピンクシャツDAY」では、県庁本庁舎が見事にピンク色に染まっていましたよ。

定例会とは直接の関係はありませんが、2/27に「拉致問題地方議会全国協議会」の一員(役職は会計です)として松田会長以下、小島幹事長、新井事務局長とともに、「特定失踪者問題調査会」の荒木和博会長ら役員の方々との面会に臨みました。限りなく北朝鮮から拉致された可能性が高いにもかかわらず、証拠不十分で拉致被害者と認定されていない特定失踪者のご家族にも、高齢化の波は押し寄せています。拉致被害者のみならず、特定失踪者に関しても全国協議会および県議会拉致議連として取組の強化をしていく必要性を感じました。

昨年4月の選挙前の街頭活動中に、脱炭素社会の実現や太陽光発電の重要性を訴える団体「ゼロエミッション横浜」のS さんからお声がけいただき、それ以来要望書を受けとったり意見交換などもしていました。2/24に、そのSさんの繋がりから、環境問題、特に太陽光パネルの普及を目指して活動する横浜市立大学のサークル「Tehs」のメンバーを中心とした現役大学生(高校生もいました!)の皆さんとの意見交換会に参加しました。おそらく学生の方々とガッツリ意見交換をしたのは、この日が初めてだったと思います。東京都や川崎市が、太陽光パネルの設置を一部義務化しようとする中、神奈川県の方向性を確認したいとの趣旨で、同期の芥川議員(座間市)・市川議員(藤沢市)、後輩の大村議員(金沢区)・桝議員(茅ヶ崎市)の5名で対応し、神奈川県の現状や今後の方向性について、かなり熱い積極的な議論となりました。温暖化が進む現状や政府の方針など踏まえれば、脱炭素社会の実現は必須の課題であることは間違いありません。しかし、企業の理解や太陽光パネルの廃棄の問題等、クリアしなければいけない課題もあり拙速な対応はできません。のんびりとはしていられませんが、ある程度の時間を必要とする問題だと意見させていただきました。しかし本当に最近の学生さんには、意識の高い人が多いですね。自分の学生時代を思い出すと…。いや、思い出すのはやめておきます(汗)。近年、議員の成り手不足が叫ばれていますが、この日集まった学生さんたちには、ぜひ将来政治の世界に飛び込んで欲しいと感じました。自分の刺激にもなりますし、またこういう機会があれば参加したいと思います。

2/2は恒例の「新堀ふみあき新春の集い」を開催しました。コロナ禍で2年お休みして、昨年は支援者からの要望もあり強行?した「新春の集い」。今年はどこに気を使うこともなく、久しぶりに堂々と開催できました。地元支援者・友好企業・各種団体など350人を超える参加者にご来場いただき、盛大で和やかな会となり多くお方にご満足いただけたかと思っています。国会議員のパーティーが話題となっている昨今ですが、私の「新春の集い」は政治資金パーティーではありませんし、キックバックも裏金もありません!正々堂々とやらせていただきました。もちろん来年も開催いたしますので、よろしくお願いいたします。

最後に、2月の風物詩といえばなんといっても節分。コロナ禍でここ数年、まともに開催されていなかった地元の神社やお寺の節分祭もようやく復活です。今年の2月3日は久しぶりに例年通り3か所の節分祭にお招きされ、地域の皆さんと交流を図ることができました。新型コロナが5類に移行して以来、地域のイベントもようやく一回りでしょうか。日本には、こうした四季折々の行事があり、国民の皆さんはそれをしっかりと継承して次に世代へと繋げていきます。本当に素晴らしいことだと思います。やっぱり日本人に生まれて良かった!

盛りだくさんの2月だったので、だいぶ長い活動報告になってしまいました。議員3期目のスタートとなった令和5年度もまもなく終了します。来週からは予算委員会が始まり、いよいよラストスパートです!季節の変わり目、皆さんも体調には十分注意してお過ごしください。

2月 25 2月25日

2024年1月 活動報告

皆様、大変ご無沙汰してしまい申し訳ございません!実は1月末にパソコンを買い替えたのですが、不慣れのせいで諸々の設定が上手くいかず、半月以上悪戦苦闘しておりました。「いまどきそんなこともできないのか!」とご批判の声が聞こえてきそうですが、私、蜘蛛とゴキブリの次にパソコンの操作が苦手です。今回買い替えを決意したのも、数か月前に自分が誤った操作をしたことがキッカケでパソコンが不調になったのが原因です。パソコンが新しくなったと同時に、ブログ更新ページのアイコンも行方不明となり、そうこうしいてるうちに、年間最大のビッグイベント「新春の集い」が本番を迎え、その後すぐに年に一度の本会議一般質問の時期となり、ついついブログの更新を後回しにしていたら、気が付けば2月も最終週を迎えていました。光陰矢の如し。時間が経つのは本当にアッという間です。

さて、言い訳はこの辺にして、かなり時間が経過してしまいましたが2024年1月の活動報告を始めます。1月といえば新年会・賀詞交歓会のシーズン。新型コロナが5類になって最初の1月は、予想通りハードな日々になりました。数えてみたら、神社などの新年の式典も入れて全部で52か所の会合に出席しました。コロナ前のピーク時は70~80会場回ってので完全に元に戻ったとまではいきませんが、それでも目の回る忙しさで、心身ともに厳しい毎日が続きます。特に今年は私の右腕、事務員のD君が病気療養中なので運転手がおらず、一晩5件掛け持ちの時などはキツかった!議員になったばかりの頃、一人で駆けまわっていたことを思い出しました。でも、これが本来の議員の1月です。この忙しさが嬉しくもある、不思議な感覚を持ちながらの一か月でした。

そんな中でも、地域の町内会や消防団などの新年会と少し違うのが県内の各種団体の賀詞交換会です。土地家屋調査士会・医師会・歯科医師会・薬剤師会・私学中高学校・幼稚園・珠算・造園・塗装など上げればきりがありません。いわば公務に近いスタンスで出席する各団体の賀詞交歓会は、やはり招待されることが議員にとってのステータスになります。県内各地から大勢の関係者・議員が一堂に会し、新年のご挨拶や名刺交換でせわしなく時間が過ぎていきます。会場は県内各所からアクセスの良い横浜駅・みなとみらい・中華街などが中心となりますので、自分は地元が南区ですから近いので苦になりませんが、県西部などから参加する団体関係者や議員は大変だろうなぁ…と感じています。

今年特に印象に残ったのは、「商連かながわ」さんの新年賀詞交歓会です。毎回、賀詞交歓会とともに「かながわ商店街大賞」の授与式も同時に開催されるのですが、過去に我が地元の弘明寺商店街や横濱橋商店街が大賞を受賞した時には地元議員として出席したものの、そうでなければお声はかからない会です。ところが今年は、商店街振興議連の事務局長の立場としてお招きいただきました。今年度の「商店街部門」の大賞は「久里浜商店街」さん。横浜Fマリノスの練習場が久里浜にできたことを契機に、マリノスと共同開発したカレーを販売するなどが評価されました。また「大型店・チェーン店部門」で大賞を受賞したのは京急百貨店です。実は、私がサラリーマン時代に最も長く担当したのが京急百貨店の販促だったので、そこはやはり感慨深いものがあります。ほかにも、サラリーマン時代に親交のあった横浜DeNAベイスターズのビジネス統括部の畠山さん(知る人ぞ知る往年の名選手!)とも久々に再開し、話が弾みました。議員になった当初から、地域の商店街活性化を目指す自分にとって、充実した時間が過ごせたと思います。

最後に、1月を振り返って忘れてはならないのが元旦に発生した「令和6年能登半島地震」です。多くの方が犠牲になり、また今現在も多くの方が被災地で厳しい生活を送っています。お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方にお見舞い申し上げます。一日も早い復旧・復興を願うばかりですが、自民党神奈川県連では、早速、県内各選挙区支部が募金活動を実施しました。我が神奈川2区支部も1/6に上大岡駅前で募金活動を行い、約1時間で156,280円の温かいお気持ちを預かりました。県連全体では、合計で4,431,301円という多額の募金を集めることができ、小泉進次郎県連会長と同期の綱島洋一県民運動本部長が先日、石川県東京事務所に届けてきました。ご協力いただいた皆様に心から感謝申し上げます。ありがとうございました!

石川県は、サラリーマン時代にも仕事で訪れたことがあり、また一昨年は厚生常任委員会の委員長として福祉施設の視察を行った思い出の場所です。観光客のキャンセルなども続いているようなので、個人的には復興支援として近いうちに仲間の議員と現地に行き、売り上げ等に協力したいと思っています。また今回の震災で、改めて普段からの防災・減災の大切さを痛感しました。安全安心な神奈川を目指し、議会として一層の努力を続けていきたいと思います。

さあ、遅れを取り戻すため2月の報告は早めにアップするように頑張ります。ご期待ください!

1月 07 1月7日

新年ご挨拶と2023年12月活動報告

令和6年が始まりました。本年もよろしくお願いいたします。

本来であれば新型コロナが5類に移行して最初のお正月でもあり、いつも通り新年恒例のご挨拶でこのブログもスタートしたかったのですが、年明け早々に能登半島地震や羽田空港の事故など悲しいニュースが続きましたので、おめでたい言葉は差し控えさせていただきます。災害や事故でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、今現在も被災されている多くの方々に心よりお見舞い申し上げます。

個人的には、昨年は本当に辛く悲しい一年でした。県議会での師匠である竹内英明県議会議員、横浜市連会長の島村大参議院議員、同期で友人の川本学県議会議員、そして年末に飛び込んできた大学の後輩でもある永田てるじ県議会議員の悲報。自民党神奈川県連としても、私個人にしてみても、大切な仲間を1年間で4人も失ったことになります。また長年にわたり、事務方として新堀家を支えてくれたベテラン事務所スタッフも天国へ旅立たれました。更に、自分にとって身近で大切な存在である人の中で現在2名が、重い病気を発病して今も闘病生活を余儀なくされています。どうしてこうも嫌なことが立て続くのか…。自分自身、精神的に不安定になることも度々あった一年でした。しかしながら、新たな年を迎えたことで悪い潮目が変わり、今年は必ず良い一年になると信じて、令和6年をスタートしたいと思います。今年も一年間、何卒よろしくお願い申し上げます。

それでは、12月の報告を始めます。我が地元横浜市南区は区制80周年を迎え、12/1は記念すべき式典が開催されました。ところがその日は県議会の代表質問が行われる日で、私を含め南区選出の県議会議員は14時の式典には参加できませんでした(涙)。一応区役所には、議会日程を確認してスケジュール調整して欲しい、と一言クレーム?も言わせてもらいましたが(笑)。聞けば12/1がリアルな南区の『誕生日』との事。結局夕方から始まった祝賀会に遅刻しての参加となりましたが、生まれ育った街が歴史的な節目を迎えたことは素晴らしい事であり、心からお祝いしたいと思います。自分は80周年で60歳ですから、90周年では70歳、100周年は80歳となりますが、流石に100周年式典には呼ばれないかなぁ…。

12/2は若手後援会「新風会」主催の『ボウリング大会&忘年会』が開催されました。当然、コロナ禍では自粛していたので久しぶりの開催です。ボウリングって不思議ですね。年齢も関係なく、上手な人も下手な人も一緒になって、なんだかんだで盛り上がります。その後の忘年会も大盛り上がりとなりましたが、なんとその席にサプライズで赤いちゃんちゃんこと頭巾が用意されていました。令和5年に還暦を迎えたわけで、いつかこんなこともあるかと予測はしていましたが、実際に着てみるとまあ恥ずかしいこと!盛り上げてくれたメンバーには心から感謝ですが、ものすごく恥ずかしいのでもう着ることはないでしょう!(笑)。

県議会令和5年第3回定例会(後期)は、12/18をもって無事終了しました。物価高対策を中心とした約200億円の補正予算を可決するとともに、所属する総務政策常任委員会において我が会派から「パレスチナ自治区ガザ地区における人道的対応及び停戦を求める決議案」を提案し、こちらも無事可決しました。また委員会では、かながわ版ライドシェアや県庁舎のセキュリティ対策など、様々な議論を交わしています。記述すると長くなってしまいますので、是非県議会ホームページをご覧ください。動画がアップされています。

そんな中、12/6に議会開催中ではありましたが、本会議終了後にユニバーサルスポーツ推進議連が主催の「ボッチャ体験会」が行われました。ボッチャとは障がい者でも参加できるスポーツで、ルールは少しカーリングに似ています。白い球に向け自軍の球をできるだけ近くに投げて得点を競うゲームで、簡単ですから大人から子どもまで誰でも楽しめる競技です。この日の主催者の一人だった山田ベンツ氏は、私の地元でカフェを経営していますが、そのカフェでも時々「ボッチャ体験会」が行われます。なので私としては3回目のボッチャ体験ですから、初体験の他の議員よりちょっと上手くできて当たり前なのですが、ここは少しだけ優越感に浸ることが出来ました(笑)。パラリンピックの正式種目でもある「ボッチャ」をこれからも広く普及して、多くの方々に参加してもらえるよう活動していきたいと思います。障がい者と健常者が一緒にできるスポーツ「ボッチャ」。是非一度やってみてください。絶対ハマりますよ!

12/20、「新堀ふみあき君を囲むクリスマスパーティー」が4年振りに開催されました。これは今話題?の政治資金パーティーです。ただし国会議員の派閥パーティーと地方議員個人のパーティーでは、規模や内容が大きく異なります。パーティー券は全部自分で販売しますから、キックバックもないし、記載漏れも絶対にありません。支援者からは「こんな時期に!」とのご意見もいただきましたが、急に中止にするとかえって不正を働いているのでは?と誤解されるのも嫌だったので、予定通り開催致しました。今回のゲストは、ものまね芸人のみはるさんと英明さん。お二人に大いに盛り上げていただきました。ご参加いただいた皆様には心より御礼申し上げます。認められたルールに則り、収支報告書にもしっかりと記載致しますので、どうかご安心ください。

12月恒例の拉致議連「北朝鮮に拉致された日本人全員の即時帰国を求める署名活動」を、今年も桜木町駅前で実施しました。今年度から同議連の事務局長に就任したこともあり、例年よりも早めに現地に向かい、準備段階からお手伝いしました。拉致は国際問題なので、我々地方議員が出来ることは多くありません。しかし、未だ拉致された日本人が北朝鮮に多数残っている事実を知ってもらうこと、そしてこの国家的犯罪を風化させないことを目的に毎年署名活動を行っています。今年も、多くの署名と激励をいただきました。そして12/26、首相官邸で「拉致問題地方議会全国協議会」の幹事として、拉致担当大臣を兼務する林芳正官房長官に要望書を手渡ししてきました。県会議員も3期目ともなれば、こうした役目を担う場面も増えてきて、責任の重さを感じます。忙しくも、充実した令和5年12月でした。

いきなりいろいろとありましたが、とにもかくにも令和6年はスタートしました。冒頭は少し暗い挨拶になってしまいましたが、今年は経済や福祉の分野でも、更には政界においても大きな転換期を迎えるような気がしています。時代の流れをしっかりと掴んで、今年も1年間がんばります。応援よろしくお願いします。

12月 30 12月30日

2023年11月 活動報告②

先日お伝えした通り、今回は11月13日から15日に実施した共生社会推進特別委員会の県外視察について報告します。こちらは前回報告の海外視察とは違い、県議会が行う正式な公務なので県職員である議会局書記も同行する視察です。今年度は同委員会の委員長に指名されたので、昨年度務めた厚生常任委員会の委員長と同じく視察のコーディネートが大切な仕事のひとつとなります。特別委員会の県外視察は通常毎年1回11月に実施されますが、コロナ禍では自粛となったのでまさに4年振りに実施です。委員会メンバー15~16人の大所帯による視察ですから、書記のY君と8月末頃から準備に取り掛かりました。偶然にもY君は、昨年の常任委員会でもコンビを組んだ気心の知れた仲です。共生社会推進特別委員会の調査事項は、障がい者福祉・高齢者福祉・部活動の地域移行など多岐にわたりますが、二人で全国の先進的な取り組みをネットや新聞などで調べることから準備はスタートしました。ちょうどその時期、福岡県のテレビ局でアナウンサーをしていた学生時代の友人から「お互い今年で定年だな!」と連絡があったので、九州で参考になるような取り組みをしている自治体や施設はないかと聞いてみました。さすが報道の現場いた経験を活かして、すぐに福祉関連・スポーツ関連の資料を大量にメールで送ってくれました。やっぱり持つべきものは友ですね。あとは面白そうなところをピックアップして、Y 君がアポ取りしてくれました。

そんなこんなで今年の特別委員会の視察は、熊本県と福岡県に決定しました。最初の調査先は、熊本県の南関町役場です。南関町は熊本県の最北西側に位置し、すぐ隣は福岡県となる県境の自然豊かな静かな街でした。教員の働き方改革を目指す政府は、全国自治体に対し公立中学校における休日等の部活動の地域移行を推進する旨の通達を出しています。これに対して南関町はいち早く反応し、令和3年度から民間の総合型地域スポーツクラブと連携して、休日の部活動の地域移行を進めて来ました。神奈川県では秦野市が積極的な取組を行っていますが、県全体で見ればまだまだ暗中模索。南関町のように人口減少という課題を抱えた小さな自治体が、早くからこの問題に取り組み、国の指定を受け、子どもたちの部活動を守ろうとしている姿勢に気概を感じました。何と言っても、南関町のゆるキャラの名前は「なんかんトッパ丸」ですから。きっと難関を突破してくれると思います。

翌日は、熊本を後にして福岡県へ。こちらも部活動の地域移行に関して革新的な取り組みを実践している福岡大学を訪問しました。大先輩で当委員会の委員でもありる森正明議員(平塚市)の母校ということもあり、視察も好意的に受け入れていただきました。福岡大学スポーツ健康まちづくりコンソーシアム(FUスポまち)は、同大学が有するスポーツ資源(施設・指導者・学生)を活用し、スポーツによる地域振興を進めています。大学が中心となり、自治体・スポーツ団体・地元プロスポーツチーム・企業が連携して、高齢者スポーツ・障がい者スポーツの機会の提供を行っていますが、中でも力を入れているのが中学部活動の地域移行です。全国的に不足しているグランド等のスポーツインフラも大学には確実にありますし、指導者についても一定の報酬が出るため選手(学生)が積極的に参加できます。今は国の補助金がありますが将来的な資金面の課題についても企業と連携することにより可能性が広がります。この事業を担当する福岡大学サッカー部監督も務める乾真寛教授の説明は、まさに「目から鱗」でした。「神奈川県にも大学はいっぱいありますよね?相談してみてはいかがですか」の言葉に、今まで発想できなかったことが恥ずかしくなりました。部活動の地域移行は、常に施設・指導者・費用の課題が付きまといますが、福岡大学の取り組みはこうした課題にしっかり対応しています。大学との連携は今後の大きなヒントになると感じました。

部活動の地域移行をテーマに、南関町と福岡大学という対照的な二つの取り組みを調査して気付いたことは、地域の特性に合わせた施策が重要だということです。神奈川には横浜・川崎などの都市部と人口減少が進む過疎地が混在しています。それぞれの取り組みを今後の神奈川県における公立中学校の部活動地域移行に活かすために、更に議論を深めていきたいと思います。

その後は福岡市内の高齢者施設を訪ねて、高齢者福祉の現場の状況確認と意見を聴取。「よりあいの森」は郊外の閑静な住宅地の中に忽然と現れた、まるでジブリの世界感のような樹木に囲まれて施設でした。ここでは国の介護保険制度のカリキュラムにとらわれない認知症対応型通所介護サービスを提供しています。古い民家を改修・増築して利用しているので、一般的な高齢者施設のような閉鎖的な感じはなく、利用者はのんびりのびのびと時間を過ごしているように感じました。そこからバスで30分程移動して市街地へ向かい、こんどは「宅老所よりあい」を視察。こちらは先程の「よりあいの森」の原型だった施設です。創設者が、独居老人の居場所や親の認知症に悩む子世代のために、近所のお寺の敷地を借りてスタートしたのが「宅老所よりあい」でした。その後入所希望者が増えて、郊外に「よりあいの森」を開設したようです。この両施設は、どちらも入所者(利用者)がまるで自宅で過ごしているかのように、決まったプログラムは設けていません。思い思いに過ごしながら、必要に応じて職員が手助けをする。その内、自然発生的に入居者同士でゲームやお茶会が始まる。最近の高齢者施設としては珍しいスタイルですが、個々が自立していて寧ろ認知症対策に効果があるのではないかと感じました。人にはそれぞれ個性がありますし、認知症の度合いも人によって差があります。一口に高齢者施設と言っても、利用者や家族にとって様々な選択肢がある事は大切だと痛感しました。神奈川の取組の参考にしたいとと思います。

最終日は福岡市の障害福祉の取り組みを調査するため、まずは福岡市社会福祉事業団を訪問しました。福岡市では、平成16年に発生した県内の入所者虐待事件をきっかけに、強度行動障がい者への支援や、施設に対する考え方の方向性が変わりました。津久井やまゆり園事件があった神奈川県と似ています。そして福岡市は、平成27年度から「強度行動障がい者集中支援モデル事業」を立ち上げ、事業団は障がい者行動支援センター「か~む」を開設しました。早速、強度行動障がい者の受入れを開始しますが、3ヶ月の集中支援期間ではグループホームへの移行は難しいのが現実です。そこで、平成30年に「かーむ」と移行型グループホームを合体させ、臨機応変な支援が行えるような施設にシフトしたとの事でした。説明の後、実際に「かーむ」の視察も行いましたが、そこで見聞きしたことはあえて詳細な報告はしません。ショックでした。強度行動障がいの現実と、職員の方の苦労が身に染みてわかりました。これは本当に難しい問題です。黒岩知事はよく「当事者目線の障害福祉」と言いますが、そんな簡単に「当事者目線」になんてなれないと思います。障害を持つ当事者は千差万別、人それぞれ人格や症状が異なります。家族だってそうです。様々な状況に置かれています。簡単に「当事者目線」なんて言葉を使ってはいけないと感じました。グループホームへの移行もそうです。近年はグループホームへの移行が目的のように言われますが、障がい者本人やご家族にも様々な事情があり、全ての方がグループホームでいいのか一概には言えません。本当に難しい…。でも、行政はどんな状況でもどんな症状の方でも、全力で支えていく義務があります。逃げることは決してできません。障害福祉の道程は、長くて険しいものだと改めて知ることが出来ました。でも、行政や議会はこの現実から目を逸らさず、失敗を重ねながらでもあきらめず地道に、一人ひとりに向き合っていくことが必要だと学びました。有意義な視察だったと思います。

さて、久しぶりに海外・県外視察を実施したので、今月は2回に分けてじっくり腰を据えて報告させていただきました。議員の視察、少しはご理解いただけたでしょうか?もちろん、終始まじめでガチガチな時間だけではありません。視察を終えてホテルに戻れば、その土地の名産に舌鼓を打ち、美味しい酒を飲み、普段は議会内でしか接点のない委員同士で語るのも良いものです。所属する会派が異なれば、視察が数少ないコミュニケーションのチャンスでもあります。ただし、皆さんに知っておいていただきたのですが、宿泊費に含まれる朝食を除き視察中の昼食・夕食などの食事代は全て自費だということです。一部報道で、あたかも税金を使って地方議員が視察先で宴会を開いているかのような映像が流れますが、これは間違いです。視察中の昼食も、終わった後の夕食も自腹だということご理解ください。一部マスコミの「印象操作」にはご注意を!

つい調子に乗って本当に長くなってしまいました。すみません。年内の投稿はこれで最後となります。皆様、良いお年を迎えてください。来年もよろしくお願いいたします。

12月 22 12月22日

2023年11月 活動報告①

一度投稿のタイミングが遅れると、なかなか元に戻らないですね(汗)。先月に続き、今月も活動報告をアップする時期がだいぶ遅くなってしまいました。申し訳ありません。年明けからは、月の頭に前月の報告ができるよう頑張ります。

さて、11月は後半になるまで議会はお休みです。コロナ前は、11月上旬~中旬が8月に次ぐ「視察月間」となるのですが、コロナ禍においては当然の事ながら、しばらくの間海外は勿論のこと、国内の視察(出張)も自粛状態でした。昨年の11月に、常任委員会の県外視察が復活するまで、丸2年間は公務で神奈川県内を出ることはありませんでした。しかし、新型コロナが5類に移行して以降、世の中の流れと共に我々議員の視察も通常に戻りつつあります。そこで今回の報告は、11月に実施した二つの視察について、内容が盛り沢山なので2回に分けて報告したいと思います。今年は各メディアで、国会議員等の海外視察が批判を受ける報道が目立ちましたが、正直申し上げれば一部偏った報道の仕方もあったと感じています。ちゃんと説明をすれば、議員の視察も意味がある活動だと納得していただけるものであり、そういった意味も込めて報告したいと思います。

まず最初は、11/5~10の日程で4年振りの海外視察となったベトナムとカンボジアの視察を報告します。自民党県議団「国際協力議員の会」は、海外(アジア中心)で頑張っている神奈川に所縁のある日本人を応援しよう、あるいは日本で仕事や勉強をして活躍したいと願っているアジアの若者を応援しよう、という趣旨で発足した有志の議員連盟、いわゆる「議連」です。過去にはフィリピンのボホール島で、障がい者施設を立ち上げた横浜出身の女性を応援し、衣料品・食料品・サッカーボール等を届けに行きました。彼女とその施設とは、今でも物資を送ったり、お手紙を頂いたりと交流があります。そんな「国際協力議員の会」の今回の海外視察の主たる訪問先はカンボジアでしたが、現在は直行便が無いとのことでベトナム経由で向かうこととなり、最終的に神奈川県と友好な関係にあるこの2国を訪問することにしました。

最初に訪問したベトナムのハノイ市は、過去3回「神奈川フェスティバルinハノイ」が開催されたり、ハノイ郊外にある「神奈川インダストリアルパーク」では、これまで24社の県内企業が進出しています。まず、JICAハノイ事務所でブリーフィングの後、「日越科学技術国際連携センター(VJIC)」を視察しました。VJICはル・クイドン工科大学の中に今年3月に設立されたばかりで、日本の技術系の大学と共同研究を進め両国の技術交流をサポートしています。センター長のグエン・クオック・ディン准教授は、日本の防衛大学などで学び、日本に対する理解・見識が高く、日本の技術を母国に浸透させることへの強い情熱を感じました。次に訪れたのは「日越人材開発インスティテュート(VJCC)」。解りやすく言えば、国際人材育成機関ということになります。中でも2002年に設立された「日本人材開発センター」は、日本政府の支援でアジア諸国9か国10都市にあり、ベトナムはハノイとホーチミンの2ヵ所に設置された唯一の国とか。日本へのリスペクトが感じられます。同センターでは、ビジネス研修はもとより日本語教育も行われ、日本企業とのネットワークも構築されています。既に17期の卒業生が両国間のビジネスシーンで活躍中。当日は、日本企業による就職相談ブースが出展しているイベント会場も見学し、在学中の18期生と意見交換(もちろん通訳付き)もできました。研修生たちの親日感情はとても高いと感じた一方で、円安などの影響もあり待遇面や環境面で日本で就職することには魅力を感じない、との意見が多くあったのも事実です。一昔前は考えられない事です。少しショックでしたが、こうした意見はまさに現地でこそ聞ける話であり、やはりこちらから出向いていく価値はあったと思いました。今や人手不足・人材不足に悩む日本企業は多く、海外人材・労働力の確保は重要なテーマです。こうした状況にありながらも、親日家のベトナム人でさえ日本て働くことに魅力を感じないという実態…。今後の日本経済にとって、大きな課題が突き付けられたベトナム視察でした。

次に目指したのは、カンボジアのシュムリアップ。ハノイから1時間半ほどのフライトでした。シュムリアップは、かの有名な世界遺産「アンコールワット」がある街です。もちろん目的地は「アンコールワット」。とは言っても、観光が目的ではありません!ではなぜアンコールワットなのか?「国際協力議員の会」が発足したのは約25年前。アンコールワットは厳しい自然環境などの影響で劣化が進んでいましたが、残念ながら当時のカンボジアは遺跡の修復等の知識や技術を持った人材に乏しく、世界各国に向け修復作業を依頼していた時代背景があったと聞きます。こうした状況の中、日本の上智大学のチームが劣化が進むアンコールワットの修復作業に乗り出したことを、当時「国際協力議員の会」の会長だった私の叔父である新堀典彦は知りました。これこそ日本の高い技術を世界にアピールする絶好の機会と感じた叔父は、「国際協力議員の会」として何かお手伝いが出来ないかと考えたようです。自ら上智大学に働きかけ、現地で作業する大学生の支援に加え、いつまでも海外に依存してはいけないとカンボジア人を研修生として神奈川県に招き、知識や技術を習得するためのお手伝いをしたようです。こうした歴史のある神奈川県とアンコールワットに、今年11月に一つの節目が訪れました。日本チームが担当した遺跡の表玄関と言える「西参道」の修復工事が25年の歳月を経て完成したのです。当時から作業に関わっていた上智大学の三輪教授から「是非、見に来てに来て欲しい」とのお話もあり、今回の視察が実現しました。もちろん、修復作業の全て終了したわけではなく、早稲田大学チームによる「バイヨン寺院」の補修作業などはまだまだ道半ば。日本チームの作業はこれからも延々と続きます。私たちは二日間にわたり広大な敷地内での作業現場を視察し、これまでの経緯やこれからの課題についてお話を伺いました。また三輪教授の計らいで、当時作業に参加した研修生の皆さんとの交流の場も設けていただきました。現在は日本の文科省に当たる政府機関で働くソックニーさんは、研修で神奈川に訪れた際、叔父に大変お世話になったと、懐かしそうに当時の思い出を語ってくれました。今は亡き叔父と撮った写真を見せていただき、恥ずかしながら涙腺が緩んでしまう事態となったのを覚えています。国際協力の名のもとに日本が誇る技術を伝承し、今現在でもカンボジアの人たちと太い絆で繋がれたことに感動し、多くのことを学びました。そして、同じ日本人がカンボジアで奮闘していることを、もっと多くの人に知ってもらいたいとも感じました。

その他では、遺跡にほど近いホテルの中に事務所を構える日本領事館シュムリアップ事務所を表敬訪問し、コロナが落ち着いたカンボジアの観光の状況や、日本とカンボジアの国交の歴史、現地での日本人の活動など伺いました。その後は、実際に現地で活躍している日本人の方々に直接お会いしてお話を聞くことに。19歳で日本を離れカンボジアで胡椒を栽培・販売して好評を得て、日本へ輸出も行い大成功を収めた26歳の若き経営者や、青年海外協力隊として主に小学校などの教育現場で教育カリキュラムの普及や人材育成に従事している方々との意見交換を行いました。その中の一人はなんと前職が横浜市教育委員会で、私の地元「日枝小学校」で数年前まで教鞭を振るっていたとの事。世界は狭い!そして異国の地で子どもたちにために日々全力で働いている皆さんに頭が下がる想いでした。「国際協力議員の会」は、視察先で青年海外協力隊の方と意見交換をすることが恒例となっていますが、その度に自分には無理だなあ…とつくづく感じます。途上国の教育現場は、こうした協力隊の力で支えられている部分も大きいのではないでしょうか。自分が直接何もできない分、これからも海外で頑張る日本人を応援していきたいと思いました。あっ!言い忘れましたが、前述したペッパーソムリエの木下澪那さんの胡椒、本当に美味しかったです。粉末状の調味料の胡椒はもちろんですが、胡椒の実をそのまま食べる「ペッパーキャビア」が気に入りました。お土産で買ってきて自宅の食事でサラダなどに振りかけて食べてます。あと、お店で食べた「胡椒アイスクリーム」も絶品でしたよ。カンボジアに旅行する際は、是非お試しください。

    

さて、長くなってしまいましたので、久しぶりの海外視察のご報告はこの辺で終わりにします。近々、11月中旬に実施した、特別委員会の県外視察(熊本・福岡)についてご報告いたします。