2021年8月 活動報告2(横浜市長選編)

2021年9月6日

去る8月22日に投開票が行われた横浜市長選挙は、既にご周知の通り立憲民主党と共産党が推す山中竹春氏が勝利し、我々自民党の神奈川県議会議員49名全員(横浜選出は19名)と横浜市会議員30名が推す小此木八郎氏は、18万票以上の大差で敗れました。私自身の想像をはるかに超える大差での惨敗という結果に、自分の選挙と同じくらい全力で応援したこともあり、選挙後しばらくはショックで放心状態でした。しかし、一定の時間が経過した今、改めて選挙戦を冷静に振り返ってみれば、残念ながら負けるべくして負けた選挙だったと感じています。反省も含め振り返ってみたいと思います。

事の始まりは自民党横浜市連の「分裂」でした。我が自民党には、都道府県・政令市の首長選挙において「推薦は3期(12年)まで」というルールがあります。知事や市長の長期政権は、権力が一極集中する懸念があるのでそれを避けるためのルールです。現職の林文子市長が今回立候補すれば4期目となり、このルール上自民党は推薦はできません。ご本人の体調や年齢も考えれば、市連は新たな候補者を擁立して現職にはご勇退いただく事が必須でしたが、結局選挙直前まで候補者を一本化することができませんでした。この状況を憂慮した、当時自民党神奈川県連の会長であり国家公安委員長の小此木八郎衆議院議員が、生まれ育った地元横浜のためにと突然の出馬宣言をすることとなります。現職の大臣がその職を辞して突然の市長選出馬ですから、我々も大変驚きました。小此木氏は県連会長だったので、我々県会議員はリーダーを失うことにもなります。ただ、これで候補者の一本化は解決する、と一報を聞いた時は安堵すら感じていました。

ところが、小此木氏の政策の柱の一つに「横浜へのIR誘致取りやめ」が含まれていたことが公になってから、事態はさらに混迷を極めていきます。自民党にとって「IR法案」は菅総理(当時官房長官)を中心に進めてきた肝いりの法案であり、横浜市連にとっても将来の横浜市の財源確保のため「IR誘致」は切り札的存在であっただけに、その衝撃は計り知れないものとなりました。私自身もIR推進派であり、当初小此木氏の政策を聞いたときは正直言って愕然としました。しかし最近では、インバウンド回復の目途が立たない「コロナ過」での誘致、また本命だった米資本のカジノ事業者の横浜撤退などのマイナス要素が目立ち、誘致への迷いが生じていたのも事実です。そして県連副幹事長である自分は、会長であった小此木氏と懇意にさせて頂いた経緯もあり、その男気溢れる人柄のファンでもありましたので、今回の勇気ある決断を支持していくことを決めました。尊敬する菅義偉内閣総理大臣が小此木氏への支援を固め、久しぶりに自分の携帯電話に総理から直接「小此木を頼む」と言われたことも、自分にとっては迷いを払拭する重要な要因となりました。

私が所属する自民党神奈川県連も、早々に「小此木支援」を打ち出し一枚岩での支援体制を構築しましたが、結果として自民党横浜市連は、IR誘致を推進する林支援派(6名)とIR誘致の撤退を表明した小此木派(30名)に分裂し、「自主投票」というイレギュラーな形で選挙戦に突入することとなりました。今回の横浜市長選挙に臨むにあたり、この候補者一本化の失敗は、大きな敗因の一つであったと言わざるを得ません。市連・県連ともにここはしっかりと反省をしなければいけないと思います。

真夏の選挙となる横浜市長選。スケジュールは8/8告示の8/22投開票でしたが、私たちの戦いは7月中旬からスタートしました。県議会第2回定例会が閉会するとすぐに、平日は地元南区内の駅頭に立ち小此木候補のビラ配り。週末は地元商店街を中心に、横浜駅やみなとみらい等の繁華街でも街頭演説を通して小此木候補の政策を訴えました。このころは駅頭や街頭での反応もまずまずで、現職大臣に加え「横浜の小此木家」の知名度は流石だと感じていました。自民党の全県会議員と、結局は市会議員の6分の5が支援に回ったこともあり、順調な滑り出しだと感じていたのは私だけではなかったと思います。選挙事務所の体制が甘い・配布ツールのデザインや中身がイマイチ等、ネガティブな声も聞こえていましたが「準備期間が短かったからしょうがない」と敢えて問題視しませんでした。今思えばこの頃の雰囲気が、陣営全体の油断に繋がったのは否定できません。

ところが告示直前の8月上旬に地元タウン誌に菅総理と小此木候補の対談記事が掲載され、総理の「小此木支援」が正式に公表された頃から、風向きが変わってきました。ちょうどその時期は、テレビやネットなどで新型コロナウィルスの新規感染者が爆発的に増加し、東京では初めて5000人を超え神奈川でも連日2000人を超える感染者数が報道され、政府のコロナ対策に対する国民の不満・疑問はピークを迎えている状況でした。そんな中8/8の告示を迎えた横浜市長選挙は、一転して我々にとって大変厳しい戦いとなりました。街頭でも応援の言葉より批判の声が多くなり、「コロナが収まらないのは菅内閣のせいだ」「IR取り止めと言うが結局当選したら菅総理の指示で復活させる気だ。市民をだますな」「菅総理が応援するなら小此木さんには投票しない」といった厳しいものに変わってしまいました。菅総理の選挙区でもある私の地元で、このような声を聴くのは過去に記憶もなく、市民の菅内閣への不信感の強さにショック受けると同時に、市長選への危機感を抱きました。気が付けば、IR誘致は争点ではなくなり(もはや誘致しないのが前提)、コロナ対策のみが唯一の争点となっていく状況の中で、小此木陣営は選挙終盤になって選挙ポスターを「コロナ対策」を強調したものに貼り替えたり、演説の内容を「脱炭素社会」から「コロナ対策」中心に変更したりと手を打ちましたが、時すでに遅しの感は否めませんでした。自分も含め、コロナ対策はもちろん最重要課題だがあくまで国の政策であり市政では争点にならない、と見込み違いをしていたのも事実であり、ここまでの感染急拡大は想定外ではあったとしても、もっと早い段階から市民のコロナに対する不安の大きさを感じ取り、政策ビラやスピーチに「コロナ対策」をより具体的に盛り込むべきだったと後悔しています。終盤戦に入り、マスコミ各社の期日前投票における出口調査は日に日に小此木候補の劣勢を伝え、また自民党支持層の中でも小此木候補の支持は4割程度という調査結果も出たりと、私たちの焦燥感は増すばかりでした。結局、市民の支持は自称「コロナ専門家」の対立候補へと大きく傾き、政権への不信感が普段は投票しない無党派層の投票を促し、投票率は前回を約11ポイントも上回りました。投票率が上がること自体は良いことなのですが、今回は自民党にとって厳しい現実を突きつけられた格好となりました。

そして結果はご存知の通り、令和3年度横浜市長選挙は小此木八郎候補の大敗で幕を閉じました。確かに後半戦では「コロナと闘い、コロナに敗れた」との見方もあります。しかし、候補者一本化の失敗・準備段階での認識の甘さ・争点の読み違い・市民感情の理解不足など敗因は多岐にわたりますが、どれも我が自民党内部の問題であり、冒頭「負けるべくして負けた」と表現した理由はここにあります。私たちは、菅総理のお膝元での敗戦、そして小此木八郎という地元出身の優秀な政治家を失ってしまった事実を重く受け止めるとともに、国民・県民・市民からの信頼を取り戻すため、今一度原点である「有権者の負託」を受けて「政治」というステージに立たせて頂いていることを再認識しなければいけません。今回の市長選ではとても悔しい思いもしましたが、学ぶこと多くありました。我々「かながわ自民党」はこの結果を真摯に受け止め、県民・市民の皆様の声に今まで以上に寄り添い、コロナ禍での不安を一日も早く解消し安心・安全な暮らしを取り戻すため、全力で取り組んでいくことを約束します。