2023年4月 活動報告(統一地方選挙編)

2023年4月24日

4月9日投開票で行われた令和5年第20回統一地方選挙。私にとって3期目の挑戦となる今回の横浜市南区県議会議員選挙は、既にご承知の通り「無投票」という結果となりました。「無投票」とは、選挙区の議員定数を超える立候補者が現れない場合、投票なしで当選が確定することを意味します。過去2回は定数2に対して3名以上の立候補者がいたため選挙は成立しましたが、3回目にして初めて「無投票」を経験しました。南区は今年で区制80周年を迎えますが、選挙が無投票になったのはおそらく初めてではないかと思います。区民の皆さんも無投票に慣れていないせいで、投票所では「なぜ県会の投票用紙がないのか?」という問い合わせが多かったと後になって聞きました。結局、選挙戦初日の17時過ぎに控えめな?万歳を行い、自分にとっての3回目の選挙はあっけなく終了しました。

実は、昨年秋頃から南区の県議選は無投票になるのでは?との憶測が広がっていました。ただし、どっちに転んでもいいように、昨年11月頃から駅頭や商店街でのビラ配りだけは地道に行っていました。正直この頃は、選挙が無いなら無いで気が楽だな、と感じていた自分がいたのも確かです。関東に進出を狙う日本維新の会が、同じ横浜市の他の選挙区に次々と公認候補を擁立していく中でも、我が南区においては具体的な動きはなく、一時期南区から立候補を検討していた元職の方も3月中旬に出馬断念となり、統一地方選挙の告示日は刻一刻と近づいてきました。当然、新聞各紙や地元タウン誌が「南区県議選は無投票の可能性大」と報じる中、支援者の皆さんのモチベーションは上がらない状況が続きます。しかしルール上、立候補届出の締め切りは選挙戦の初日である告示日の17時になっているので、自分は「締切りまで何があるかわかりません!」と後援会の皆さんを鼓舞しながら、拡大選対会議・県政報告会(決起大会)・事務所開きと、選挙に向けた日程を消化していきました。しかし、無投票がほぼ確定している中で、各行事にどこまで動員をかけるべきなのか?正直迷いました。結局通常の半数以下の方に対してのみ案内状を送付し、普段行う動員のための電話作戦も実施しませんでした。当然のことながら参加人数も例年の半数以下となり、盛り上がりに欠けた選挙前の各行事となったことは言うまでもありません。しかし今考えれば、有権者に向けて自分の実績や政策を語る数少ないチャンスが選挙なだけに、無投票になるならないにかかわらず、いつも通りの動員をかければよかったと後悔しています。

先程も軽く触れましたが、選挙は結果的に無投票でも初日の17時までは選挙活動が認められています。逆に言うとそれ以降は一切の選挙活動が禁止されるので、選挙事務所や選挙カーの看板や襷など、自分の名前や顔が出でいる物は全て隠さなければなりません。公営掲示板のポスターだけは役所が翌日撤去してくれますが、知事選と市会議員選のボードの間にポッカリと空間ができ、これはこれで寂しいものです…。

3月31日、朝の8時から夕方17時までが自分に与えられた選挙活動の時間でした。選挙カーでの遊説を中心に、横浜橋商店街での「桃太郎」、2人の市会議員候補者の出陣式出席の後に15時から自分の出陣式を行い、井土ヶ谷駅前の街頭演説を終えるとあっという間に17時になってしまいした。慌てて事務所に戻り、選挙管理委員会から無投票の連絡を待つことになるのですが、事前に確認したところ連絡は17:30頃になるとのこと。ところが17時を3分過ぎた頃いきなり自分のスマホに「無投票が確定しましたが感想を!」と新聞記者から連絡があり、選管ではなくマスコミから自分の当選を知ることとなってしまいました。無投票を予想して?既に事務所に集まっていた支援者の皆様に隠しているわけにもいかず、選管からの連絡を待たず当選が確定したことを告げ、最初はあまり気乗りはしませんでしたが「勝は勝だ!」との選対本部長の音頭で万歳三唱。この時ばかりは流石に嬉しい気持ちになりましたが、初日の選挙戦を戦ってエンジンがかかった状態での終戦は、不完全燃焼というか消化不良というか…なんとも微妙な気持ちだったことは間違いありません。その後、無投票だったことについてマスコミ4社から次々と取材を受け、気が付けば夜もかなり更けていました。当選が決まった夜に一人とぼとぼと帰宅するというのも、かなりレアな体験ではないかと思います。

さて、無投票で選挙が終了した議員は選挙期間中なにをしているのか?自民党神奈川県連では、県内で激戦区の同僚や不慣れな新人候補の選挙区に入り応援やお手伝いするのが慣習となっていて、自分もそうなるのかと思っていました。しかし、今回の我が地元南区の横浜市会議員選挙は大激戦が予想されていて、4議席に対して2人の自民党公認候補の当選を確実なものにするため、「新堀は期間中一歩も南区を出ずに市議選の応援をするように」との指示があり、結局はまるで自分の選挙やっているかのように地元に張り付くこととなりました。選挙戦が進むうちに、過去2回連続トップ当選のゆさ大輔候補の勝利は確実(結果は断トツのトップ当選!)との戦況が明らかになりましたが、もう一人の渋谷たけし候補は他党の候補と横一線の激戦です。渋谷候補は、私の父豊彦の秘書をキッカケに政治の世界入ってきた人で、自分も中学生の頃から知っている間柄です。落選させるわけにはいかないと、自分の選挙と変わらない、いやそれ以上の気持ちで応援しました。二人の候補者の応援に菅前総理や島村大・三原じゅん子の両参議院議員も連日の南区入り。そして応援の甲斐あって、渋谷候補もギリギリ4位ながら無事当選!選挙後すぐに父の墓前に、自分と渋谷さんの当選を報告することができました。無投票により、普段から仲が良いながらも選挙を応援することはなかった二人の選挙を手伝うことができて、同じ政党・同じ選挙区でもそれぞれの戦い方があることを知り、貴重な経験をさせて頂きました。

かくして私の3回目の統一地方選挙は、無投票→市議選応援というかたちで幕を下ろしました。最後に、当選が確定した31日の夜、マスコミの取材に対してのコメントを紹介して、今回の活動報告を終了します。

「無投票とは言え、また4年間議会で仕事をさせて頂けることは素直に喜びたいと思います。しかしながら、本来議員とは有権者からの投票で選ばれ、地域の代表として議会の場で発言を許される立場であり、今回のように無投票で選出されたことに関しては、正直一定の違和感を覚えます。選挙で選ばれなかった分、より一層気を引き締めて仕事に当たりたい。また、県内で12の選挙区が無投票となったことについて、議会として重く受け止めなければいけないと思います。今後、地方議員のなり手不足を解消するため、様々な議論も行っていく必要性を強く感じています。」

また4年間、がんばります!よろしくお願いいたします。