活動実績
2023年の活動実績
「かながわPay」第3弾を実現
コロナ禍の消費喚起策として実施した「かながわPay」。令和4年に実施した第2弾が好評だったため、物価高に苦しむ県民や県内事業者から多くの要望をいただき、令和5年7月に第3弾が実現しました。当初なかなか実施に踏み切れなかった県当局に対し、粘り強く訴え続けた結果だと自負しています。今回は100億円の予算をわずか1ヶ月で消化してしまうほど好評でした。最終的にアプリは280万ダウンロード、加盟店舗は25,000店。第1弾から第3弾までで総額270億円の予算に対し、決済金額は2,430億円にのぼり、事業者支援と県民の消費喚起に大きな成果を上げた「かながわPay」。現在、県内消費は比較的安定はしていますが、今後も景気動向や国の交付金を注視しながら、県独自の経済対策に積極的に取り組んでいきます。
急傾斜地崩落工事の条件を緩和
県政にとって長年の課題である急傾斜地対策(崖地の整備)ですが、令和5年3月の議会において大きな進展がありました。急傾斜地崩落防止工事における国の公共工事対象箇所について、一定の条件はあるものの、令和5年度からこれまでの10m以上から5m以上に緩和されました。我が自民党県議団と小泉進次郎県連会長が連携して、黒岩知事と共に国交省に働きかけた結果によるものです。こうした動きの中、長年懸案だった地元弘明寺の崖も、ようやく工事の目途が立ちました。しかし横浜市内には約700ヵ所、私の地元南区は市内で2番目に多い約80ヵ所の急傾斜地崩落危険区域があります。工事の条件の緩和と予算増で、危険な崖の整備は大幅にスピードアップし、激甚化する台風などの風水害対策を今後も進めていきます。
米軍施設「根岸住宅地区」の返還と
「ノースドック」の情報提供
横浜市内には複数の米軍施設が存在します。旧上瀬谷通信施設は無事に返還され、2027年開催の花博「GREEN EXPO 2027」の会場となることが決定しましたが、我が地元南区にもまたがる根岸住宅地区は当初2022年末に返還される予定も、復旧工事の遅れや有害物質の検出により返還時期が不透明でした。しかしながら令和6年1月、国・米国による共同使用に横浜市の参画が発表され、返還はそう遠くない時期に実現する目途が立ちました。また、令和5年には横浜港の玄関口ともいえるノースドック(瑞穂埠頭)に、米軍部隊の常駐が突如として発表されました。令和6年度中には280名程度の部隊が配備され、今後の世界情勢如何で状況はさらに変わる可能性があります。こうした市内米軍基地の情報は、返還後の跡地利用や周辺住民の不安解消のため重要です。2月の本会議で知事に対し円滑な返還と迅速な情報提供の要請を行いました。引き続き注視していきます。
無投票だった統一地方選挙
私の3回目の県議選は議席数を超える立候補者が現れず、南区始まって以来の無投票となりました。選挙前から予想されていたことではありますが、選挙戦初日の17時に選管から当選の連絡が来た時は、嬉しいというよりも虚しい気持ちが先に立ちました。多くの支援者からお祝いの言葉を頂きましたが、議員は本来、有権者からの投票で選ばれることにより、地域の代表として議会に出ていくものです。違和感を覚えながらの3期目スタートとなりましたが、無投票でも勝ちは勝ちと割り切って、新たな任期を全うしたいと思います。そして、地方議員のなり手不足が深刻化する現状を打破するため、私たち地方議員の仕事の大切さを積極的に発信していくことにも挑戦していきます。
3期生としての責任
政治の世界で1期目・2期目は「若手」と呼ばれることが多く、私も議会のルールや質問の準備など不慣れな環境で余裕が持てず、当時は自分のことで精一杯でした。しかし3期目ともなると、委員会や議連で委員長・幹事長など「役職」が付くことが多く、組織全体のことを考えて行動することが求められます。後輩への指導も必要です。今までは一個人として参加していた立場から、組織としての動きが求められます。共生社会推進特別委員会の委員長として、部活動の地域移行を調査・研究するため福岡大学を訪問したり、「商店街振興議員連盟」の事務局長として商連かながわの皆さんとの懇親会を企画したり、多忙を極める毎日です。過去2期8年の経験を活かし、3期生の責任と自覚を胸に、この4年間は、自民党県議団はもとより県議会の中心として働く覚悟で臨みます。
ともに生きる神奈川を目指して
令和5年度は、共生社会推進特別委員会の委員長に任命されました。前年の厚生常任委員会の委員長に続き、2回目の委員長職です。厚生の委員長時に制定した「神奈川県当事者目線の障害福祉推進条例」の理念の理解促進を目指し、委員会では様々な議論を交わしました。しかし、県立の障害者施設では今も虐待事案が後を絶ちません。現場の視察なども度々行いましたが、「当事者目線」などと軽々しく言えない厳しい現実がそこにはありました。障害福祉は本当に難しい課題です。今後も一定の時間はかかると思いますし、障害の重度や施設の考え方によって目指すゴールはそれぞれ異なると思います。それでも行政と議会は決して目を背けることなく、全力で向き合っていくことが責務だと強く感じました。また、津久井やまゆり園事件をきっかけに制定した「ともに生きる社会かながわ憲章」の普及にも、今まで以上に力をいれて活動していきます。
戻って来た街の活気
昨年5月8日に新型コロナが5類に移行して、3年間に及ぶ議会でのコロナ対策特別委員会もようやく卒業。晴れ晴れとした気持ちで通常業務に戻りましたが、それは社会も同じです。コロナ禍では開催できなかった少年野球大会の開会式や地域の夏祭りなど、様々なイベントが復活しました。この3年、お声がけいただくイベントが激減して、すっかり身体が鈍ってしまったので、ペースを戻すのが大変でしたが、人との交流は嬉しいものです。コロナ禍では、飲食店への営業時間の短縮やアルコールの提供自粛など、苦しいお願いをする立場だっただけに、県民や事業者の方々に制約を求めないことのうれしさを感じられる1年でした。改めて、人々や街に活気が溢れることのすばらしさを実感しました。これからも人手不足・原材料費の高騰に苦しむ企業への支援策はもちろん、脱炭素を目指す企業への支援や、DXを活用した観光地の整備を進めインバウンドにもしっかり対応していける街づくりを目指します。
県外・海外視察の復活
コロナの5類移行で、自粛していた委員会や議連による公務としての県外・海外視察も完全に復活しました。近頃では、議員の視察について否定的な報道が目立ちます。視察先で飲食している場面を切り取られて報じられたりしていますが、実際は多くの時間を調査・研究に充てて真面目にやっているケースがほとんどです。一部議員の軽率なSNS投稿が注目されたのは残念ですが、現地に足を運ぶことで、紙の資料やネットだけではわからない貴重な情報や地域との交流が可能になる視察は、議員にとって貴重な体験であり大切な時間です。令和5年度に宿泊を伴う視察は3回実施しましたが、どれも有意義な視察になりました。詳細は、当ホームページの活動ブログをご覧ください。ちなみに視察先であたかも税金で飲み食いしているかの報道もありますが、視察中の飲食代は全て議員の自費だということを付け加えておきます。
惜別
活動実績からは少し離れてしまいますが、令和5年度においては、どうしてもお伝えしたいことがあります。昨年、尊敬する先輩議員や懇意にしていた同僚・後輩議員が次々とご逝去されました。1年間で4人の仲間を病気で失うなど、今でも信じられない思いです。自分が一期目の時から、ときに厳しくときに優しく熱血指導して頂いた憧れの大先輩、竹内英明県議会議員。国会議員の立場でありながら常に気さくで、我々地方議員のために勉強会なども開催していただいた島村大参議院議員。当選同期で常に明るいムードメーカーであり、よく二人で遅くまで酒を酌み交わした川本学県議会議員。自民党県議団の一期後輩で、大学の後輩にもあたる永田てるじ県議会議員。4人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。議員として、一人の人間として、皆さんの意思をしっかりと受け継いでいきます。今までありがとうございました。