1月
03
1月3日
2021年12月 活動報告
令和4年が始まりました。これまで新しい年を迎える時は、必ずこのブログで新年のご挨拶をさせて頂いておりましたが、昨年中に父・豊彦が逝去いたしましたので、今年は控えさせていただくこととしました。
令和3年第三回定例会(後期)は、コロナ関連の補正予算を含む多くの議案を可決し、12/17をもって無事終了しました。所属する産業労働常任委員会委員では、ここ数年質問の担当を後輩議員に譲っていましたが、今回は後輩が一般質問の出番で多忙だったことから『優しい先輩アピール』?も兼ねて、久しぶりに自民党の持ち時間の半分程度を自分が担当して質問しました。内容としては、
①最近日本各地の沿岸に漂着する話題の軽石について、神奈川県立産業技術総合研究所が軽石から放射性物質を吸収する「ゼオライト」の生成に成功したことを受け、処理に困っている軽石の有効利用や研究所への支援について積極的に行うこと。
②コロナ禍で影響を受けた地域経済の活性化を図るため今年度実施した「商店街等プレミアム商品券支援事業」の予算を次年度に繰越しすることについて、より多くの県内商店街に活用されるための告知強化・横浜市等各自治体との連携した周知を検討すべき。
③県内消費喚起対策事業「かながわPAY」について、総額70億円を予算化したが県民の利用が進んでいない状況から、キャッシュレス決済に慣れた若年層への周知の徹底、付与額の上限を上げること、期間を延長し国と調整しながら出来れば次年度の実施を視野に入れること。
などを質問しました。特に③の「かながわPAY」については、自分自身不慣れなキャッシュレス決済に勇気を出して?挑戦したところ、最大20ポイントが還元されお得さが実感できたにもかかわらず、県民の利用が進まない状況が残念だった思いが強く、気持ちを込めた質問になりました。早速二日後には付与額の上限が10,000円から30,000円に修正されることが知事から発表されました。期間は1月末までですが、延長も検討中です。皆様もアプリをダウンロードして、是非「かながわPAY」をご活用ください。
その他の議会活動として、恒例の「北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川県議会有志の会」(通称:拉致議連)による署名活動に今年も参加しました。毎年寒さに震えながら桜木町駅前での署名活動ですが、今年はとても暖かく人出も多かったので、過去最多の署名数をいただくことが出来ました。当日は、自分を含む超党派の県会議員の他、家族会からは拉致被害者の田口八重子さんの弟である増元照明さんも参加され、拉致問題の解決に向け政府や国民に向け悲痛な思いを訴えておられました。5人の拉致被害者が帰国を果たしてからすでに約20年が経過しています。その後大きな進展が見られない中、政府には何とか突破口を開くため最大限の努力をお願いしたいと同時に、我々地方議員はこの問題を風化させないため、署名活動を続けていきたいと思います。
先月のブログでも報告しましたが、地域での様々な活動も少しづつではありますが戻りつつあります。私が顧問を務める地元の少年野球チーム「横浜南ボーイズ」主催による野球大会「横浜南ボーイズカップ」が12/11に開催されました。横浜南ボーイズは、硬式球を使うボーイズリーグに所属する中学生のチームです。数年前には、全国大会で準優勝するほどの強豪で、OBには阪神タイガースの望月投手もいます。横浜南ボーイズカップは、4月には中学生になる小学6年生を対象に行われる大会で、新入部員勧誘の場でもあります。毎年、横浜南法人会さんからご協賛をいただき運営をしていますが、今年も渡辺会長以下、多くの会員の方々にご参加いただきました。ポストコロナに向け、こうした大会が安心して開催できる環境づくりをこれからも進めていきます。
議員としての活動ではありませんが、最後にロータリークラブの活動をご紹介します。私が所属する横浜南ロータリークラブは今年で創立60周年を迎えます。クラブでは社会奉仕委員の一員でもあり、記念事業の一環として奉仕先を検討する中、議員として度々訪問していた「神奈川県立横浜南養護学校」のことを思い出し、提案したところ晴れて実現の運びとなりました。南養護学校の設立は昭和45年と歴史は古く、併設する「神奈川県立こども医療センター」に長期入院している児童・生徒の学習機会を確保するため、日々病院と連携しながら授業を行っています。年間約400件の転出入がある中、在籍する児童・生徒の皆さんや工夫を凝らして授業を行う教職員の方々のお手伝いができることは、とても嬉しいことだと感じています。12/20にクラブのメンバーと打ち合わせのため現地に訪れ、具体的にはこれからになりますが奉仕活動の内容について説明し快諾していただきました。地元の方でもあまり知られていない南養護学校にスポットを当てることが出来て満足しています。
昨年は父・豊彦の逝去から始まり、議会でのコロナ対策、横浜市長選挙、自民党総裁選挙、衆議院議員選挙など本当に様々なことがあり印象に残る年でもありました。困難に接する度に多くの皆様からご支援をいただき、何とか乗る着ることが出来た一年だったとも思っています。さあ、今年は参議院議員選挙も控えています。昨年の経験を生かして議会・地域・選挙、そしてプライベートでも、多くの方々に支えられていることを忘れず、前を向いて仕事をしていきます。本年もどうぞよろしくお願いいたします!
12月
21
12月21日
2021年11月 活動報告
12月に入ってから、公私ともに多忙を極めております(汗)。週末に行われる地域のイベントが開催されることが一気に増え、夜の会合もちらほらとお声がけいただくようになり、更には議会も佳境を迎えたことと重なり、気が付けば12月も後半に入ってしまいました。遅ればせながら11月の活動報告をさせて頂きます。
通常11月は決算特別委員会を除き議会は開催されず、今年度決特に所属していない自分は、久しぶりに余裕のある時間を過ごすことができました。令和3年第3回定例会(後期)は11/25からのスタートなので、この間例年だと委員会や議連の県外視察が活発に行われるのですが、感染者数が大きく減少した状況とはいえ今年度中の県外視察は既に自粛する方針が決定しています。なので公務は、県内かせいぜい都内で行われるものだけ参加することとなりました。
11/9、九都県市合同の防災訓練が岸田総理も参加する中、横浜のみなとみらい地区で大々的に実施されました。今回の主催は横浜市だったので、地元選出議員として招待されたわけですが、久々に間近で見た合同防災訓練の迫力に圧倒されました。最近は日本列島各地で地震が頻発しています。自衛隊・警察・消防はもちろん、民間の各団体も参加して行われた訓練を見て、いつ起こるかわからない災害に備えて、官民での連携の重要さを改めて実感しました。また、訓練のパンフレットやポスターが「シン・ゴジラ」とコラボしていたあたりは、さすが横浜市、と言ったところでしょうか。
11/13、北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川県議会有志の会(通称:拉致議連)の事務局次長として、例年永田町の砂防会館で開催される「全拉致被害者の即時一括帰国を求める国民大集会」に出席してきました。菅前総理が外交問題の最重要課題として挙げた北朝鮮による拉致問題ですが、岸田内閣においてもその位置付けに変わりはありません。しかし、小泉純一郎総理の時代に5人の拉致被害者が帰国してから既に19年が経過した中、この問題に大きな進展は見えて来ません。家族会の方々も高齢化が進み、昨年は横田めぐみさんの父・滋さんが、そしてつい先日には田口八重子さんの兄・飯塚茂雄さんが他界されました。関係者は、危機感を募らせています。政府には、是非この問題の糸口を見つけ、解決に向けた方向性を示していただきたいと切に願います。我々地方議員は、我々のやり方で署名活動などを中心に、拉致問題が風化しないよう国民・県民に訴え続けていきます。
当日の会場には、岸田総理をはじめ多くの国会議員や地方議員の代表者も集結しましたが、たまたま私たちの前列に西村康稔前経済再生担当大臣が座られていました。この1年間、神奈川県のコロナ対策として協力金などを担当している自分としては、思わず西村前大臣に「コロナ対策、お疲れ様でした!」と声をかけたところ、暫しの間お話をして頂き、最後は「記念に写真撮ろうよ!」と言ってくださいました。本当に気さくな方で、すっかりファンになってしまいました。
11/20、自民党神奈川県連「かながわ未来カレッジ」は、前環境大臣の小泉進次郎衆議院議員を講師としてお招きし開催しました。自分は当カレッジの副校長を務めさせていただいていますが、当日は司会進行役として参加しました。今や全世界の主流ともいえる環境問題をテーマに講演が行われ、「脱炭素社会の実現」「カーボンニュートラル」などの環境政策を熱く語っていただきました。日本がいかにこの問題で世界に後れを取っているか、菅内閣が2030年に向けて温室効果ガスの削減目標を46%に引き上げたことがどれほどの決断だったのか、当時のリアルなお話に引き込まれました。個人的にも進次郎さんとは久しぶりの再会でしたので、とても充実した時間過ごすことが出来ました。
11/21は、地元南区にある金刀比羅大鷲神社で伝統の「酉の市」が開催されました。この「酉の市」は無形文化財に指定されている大変歴史のある行事です。昨年はコロナ過で中止となり各方面から「なんとか開催できないか」と陳情を受けつらい立場でしたが、今年は感染者数も減少し無事開催となりました。例年行われる式典は自粛となりましたが、様子を見に行こうと出かけてみてビックリ!すごい人出で神社の周辺はごった返していました。さすがにこれは「密」だ、やばいな(汗)、と感じましたが特に問題もなく終了してホッとしています。やはり県民の皆さんは、こうした祭事が行われることを心待ちにしていたんだなぁと、つくづく感じました。
地元ネタをもう一つ。11/27、横浜市立南太田小学校の創立100周年記念式典が感染防止対策を徹底した中で執り行われました。この日は教職員と市教育委員会関係者・地元議員や町内会長など来賓のみでの開催となり、生徒や保護者の方々は不参加で、当然飲食もなしと少し寂しい想いでしたが、今のご時世こうした対応は必須になりつつあります。元のようにみんなでワイワイガヤガヤが懐かしいですね。ちなみに、自分が自民党県連の教育グループとして毎年要望を伺っていた山田尋通先生が、南太田小の校長先生として赴任されていたのには驚きました。懐かしくて、昔話(とは言っても3~4年前の話ですが)でついつい盛り上がりました。
なんだか久しぶりに、バラエティーに富んだ活動報告になった気がします。やはり、新型コロナの感染拡大もひと段落?となり、世の中が少しずつ元に戻って来ているからなのでしょうか。現在は、オミクロン株が諸外国で猛威を振るっているようですが、我が国はワクチンの接種率や水際対策の成功で今のところ大きな影響を受けていません。なんとかこのまま頑張って、安心して年末年始が過ごせるよう願いながら11月の活動報告を終了させて頂きます。
11月
21
11月21日
2021年10月 活動報告(衆議院選挙編)
11月も中旬を迎えやっと通常営業?に戻れた感があり、だいぶ遅くなってしまいましたがお約束していた10月の衆院選の報告をしたいと思います。
8月の横浜市長選挙の疲れ(心身ともに!)もようやく癒され、9月~10月の県議会では緊急事態宣言の解除など大きな山場を乗り越えホッとしたのも束の間、わかっていたことではありますが、第49回衆議院議員選挙(10/19公示・10/31投開票)が任期満了に伴い実施されました。我々の予想よりかなり早いタイミングでの解散総選挙となり、我が「神奈川2区選挙区」はドタバタの中選挙戦の準備に入りました。神奈川2区(西区・南区・港南区)といえば自民党の公認候補は言わずと知れた、菅義偉前内閣総理大臣の選挙区です。実は、私を含め2区選出の県市会議員は周囲から「すが軍団」と呼ばれ、まるで軍隊か体育会系運動部のように鉄の結束で体力の続く限り選挙戦を戦うことで有名?です。過去に「軍団」として他の選挙区に応援に行ったこともありますが、ビラ配りなど徹底的にやりすぎて怒られたこともあります(笑)。とにかく「すが軍団」は選挙になるとアドレナリンの分泌が半端ないんです。
しかし流石に今回は時間もなく、公示の2週間前に慌ただしい空気の中ですが陣営の選対会議は始まりました。菅内閣の時に新型コロナの爆発的な感染拡大があり、その影響による横浜市長選の敗北、更には菅さん自身の総裁選不出馬などマイナス要素ばかりがクローズアップされ、選対会議は最初から緊迫感に包まれていました。田野井選対本部長や斎藤事務所長からは、菅内閣時の支持率の低下や野党候補の一本化などもあり、過去8回の選挙と比べて最も厳しい戦いが予想されるとの発言もあり、重々しい雰囲気の中、選挙戦はスタートしました。
菅さんにとっては9回目の国政選挙となりますが、私自身本格的に菅さんの選挙を応援するのは今回で4回目となります。最初はサラリーマン時代にボランティアとして参加しましたが、この時は自分の父の選挙とはまた違う厳しさや徹底した戦略・運動員の多さに驚かされました。2回目は次期県議選の候補予定者として、そして3回目は4年前に現職の県会議員として参加しました。2~3回目の当時、菅さんは既に内閣官房長官の職に就かれており、ご自身の選挙区に戻られることはほぼ無く、地元の県市会議員が中心で選挙戦を戦いました。ですから基本は自分たちで計画を立て選挙活動を行い、本人が唯一地元に戻ってくる選挙戦後半の決起集会を最大の山場とすべく準備を進め、地元中学校の体育館をいっぱいにするため必死になって動員をかけていた記憶が蘇ります。
しかし今回の選挙は、今までと勝手が違いました。まず、菅さんが度々地元に入られたことです。もちろん今回も期間中は全国の同志の応援で日本中を移動されていましたが、菅さんにとっては久しぶりに内閣でも党でも役職のない一衆議院議員になっての選挙だったので、過去2回と比べれば時間に余裕ができたのでしょう。いつもは本人不在の出陣式への参加から始まり、地元商店街の「桃太郎」や街頭演説、朝の駅頭ビラ配りにも参加せれた日もありました。やはり菅さん本人がいると、それだけで空気がピリッと締まりますから、我々地元議員や秘書の方々も緊張感が違います。逆に地元後援会の皆さんは久々の「生・菅さん」に笑顔がはじけていました。またコロナ過での選挙ということで、毎回多くの人を集める決起集会も「密を避ける」という意味で箱モノでの大型集会は開催不可能という状況であり、今までとは違う戦い方も模索しながら手探りの選挙戦となりました。
しかし、体を動かしてナンボの我が「菅軍団」です。公示10日ほど前から連日朝夕の駅頭ビラ配り。選挙中は朝夕の駅頭に加え、日中は辻立ち(街頭演説)と宣車(宣伝カー)に乗り込んでの応援など、今まで以上にアグレッシブに動き回りました。戦前の各メディアの予想では「菅、苦戦か?」といった見出しが躍りましたが、いざ選挙が始まってみれば、街頭や電話での反応は上々でした。思い起こせば、新型コロナの感染拡大が続いた8月の市長選で街頭に立った時は「菅内閣の対応が後手後手だから感染が拡大した」「言葉が国民に届かない」「菅さんは総理大臣やめろ!」など厳しい言葉が投げかけられましたが、今回は打って変わって「ワクチンで感染者が減った」「菅さんがワクチン接種進めてくれたおかげ」「菅さん、ありがとう!」などの言葉を多くいただきました。市長選の時が酷かっただけに、やっと国民の皆さんに菅内閣の実績が伝わったと感じたときは本当に感無量でした。また選挙中、立憲民主党と共産党の候補者一本化に対しても「野合だ!」「そもそも政策が違うのに政権取るなんておかしい」といった意見もいただきました。多くの国民の皆さんが冷静に判断していただいた結果だと思います。こうした言葉に勇気とパワーをいただき、12日間の熱い戦いを乗り切った結果、戦前の予想は杞憂となり「神奈川2区」は菅義偉前内閣総理大臣の圧勝という形で幕を閉じました。ご支援・ご協力いただいた皆様に、心から感謝申し上げます。ありがとうございました!
こうした状況を考えると、改めて2つの選挙を通して国民・県民の皆さんの心に「新型コロナウイルス」が大きな影を落とし、あらゆる面で負の影響を与えていたことを肌で感じることができたと思います。未知の感染症との闘いは、誰も経験したことがなく本当に辛く厳しいものでしたが、このブログを更新している11月中旬においても日々の新規感染者数は減少傾向が続いています。私自身も菅さんが厚労省の1日80万回に納得せず、1日100万回のワクチン接種を実現してくれたことに心から感謝しています。まさに市長選はコロナに負けて敗戦、衆院選はコロナに勝って勝利、こんな感想が頭をよぎりました。そして、これが政治なんだと改めて学ぶことができました。有権者の皆さんが何を感じ、何を求めているのか?これをしっかり受け止められてこそ政治は役割を果たします。もちろん、新型コロナウイルス感染症は完全に終息した訳ではありません。これからも油断することなく対策を進めていかなければならないでしょう。国民のため、県民のため、これがベストだと思った政策をブレることなく進めていく。政治に求められるものが何なのか、改めて痛感した次第です。この想いを忘れることなく、来年の参院選、更には再来年の統一地方選に繋げていきたいと思います。
11月
07
11月7日
2021年10月 活動報告
長く厳しかった衆議院選挙も終わり、11月の声を聞き急に寒さが増してきました。マスコミでは「勝者無き衆院選」などと表現していましたが、我が自民党は圧勝とまではいかずとも単独で安定過半数を確保するなど、一定の成果を見た結果だったと思います。私の地元「神奈川2区」においても、我らがリーダーである菅義偉前内閣総理大臣の圧勝という結末で選挙戦は幕を閉じました。戦前では厳しい戦いが予想されていただけに、今は充実感でいっぱいです。この衆議院選挙については、書き出すと長くなってしまいますので、また改めてご報告させていただきたいと思います。
10月の後半はほとんど選挙活動に従事していたので忘れがちですが、県議会令和3年第3回定例会(上期)は10月15日まで開催していました。9月末の緊急事態宣言の解除に伴い、9/30に予定されていた常任委員会を10/1に後ろ倒しにして臨時の本会議等を開催した関係で日程はぎゅっと詰まった形になりましたが、久しぶりにコロナ以外の質問をする余裕もでき、6年振りに「再生可能エネルギーの普及」などについて所属する産業労働常任委員会の場で議論することができました。「脱炭素社会の実現」「カーボンニュートラル」など6年前と世界の流れはすっかり変わっていて、当時は先の見えなかった「燃料電池自動車」「ZEH」等の取り組みが今後ますます重要になり、注目を集めています。この1年半は議会もコロナ対策に追われ、こうした議論がしばらくできなかったわけですから、感染が落ち着きを見せコロナ禍での経済への影響が少しずつ減少していく過程を見ていると本当に感慨深い想いになりました。
そしてついに10月24日をもって県のリバウンド防止期間も終了し、飲食店等への営業時間・酒類提供などの制限も解除されました。早くから「認証店制度」を推進してきて良かったと思いますし、これから暫くは完全に元の生活に戻るわけではありませんが、それでも家族・友人・同僚らと遠慮することなく外食が楽しめるのは本当に心から嬉しいです。今後おそらく「第6波」はやって来るのだと覚悟していますが、その時に今までのような対応ではなく、ルールを守りながら経済はしっかり回していく、今はそのための準備をしていかなければいけないと肝に銘じながら日々を送っています。
解散総選挙の日程が当初の予想より1週間ほど前倒しになり、10/15に議会が終了したその日の夜には衆院選に向けた自民党神奈川県連の拡大選対会議が急遽執り行われました。当日は県連副幹事長として司会進行の大役を指名され、私も一気に選挙モードにスイッチが切り替わります。神奈川2区から18区まで公認候補全員の当選を目指し、かながわ自民党は一致団結して戦うことを確認し、最後はコロナ過の「がんばろーコール」(声を出すのは登壇者のみ)で締めて、参加者はそれぞれの選挙区へ向かいました。我ながら完璧な司会進行だと思っていたのですが、最後の最後に「がんばろーコール」を行う同期生の川崎修平議員を紹介する時に思い切り「噛んで」しまったのが心残りとなりました。「ケンレンセイネンソウキョクチョウ」、言いにくいですよね!(笑)。
地域活動も徐々に再開されつつあります。地元南区とお隣の中区にまたがる「大通り公園」は、市民の憩いの場であるとともに、地域での様々なイベント会場としても活用されています。10/3に「横浜市大通り公園水の広場愛護会」主催による第1回「大通り公園クリーンアップ」が開催されました。当日は、長年に渡り地道に清掃活動を続けてきた主催者をはじめ、商店街・NPOなど12団体111名が参加し大規模な清掃活動が行われました。私も公園に隣接する横浜橋商店街の高橋理事長からお声がけをいただき、少しだけ参加してきました(実は菅さんの最初の選対会議と時間が重なってしまいました。あまり手伝うこともできずごめんなさい!)。コロナ禍では実現しなかったこうした活動が動き出すことは本当に嬉しいことです。今後も時間があればお手伝いしたいと思っています。
10/17には、恒例の「MOA美術館南区児童作品展」の表彰式が開催されました。こちらもコロナ過により昨年は関係者のみで小規模に行われていましたが、今年は以前のような形式にもどり私も来賓兼プレゼンターとして参加させていただきました。母校の大岡小学校の児童の作品が表彰されるとつい裏でニヤリしますが、何よりも子どもたちや保護者の皆さんの笑顔を見ていると、自分のことのように嬉しくなってしまいます。このままコロナが収束し、来年以降も表彰式に出席できることを切に願うばかりです。
10月の活動報告は以上とさせて頂きます。近日中に改めて「衆議院選挙編」を投稿いたしますのでこうご期待ください。よろしくお願いいたします。
10月
08
10月8日
2021年9月 活動報告
9月末の自民党総裁選や緊急事態宣言の解除、更には解散総選挙の1週間前倒し等が重なりこのところ超多忙な日々を過ごしていたため、ブログの更新がすっかり遅くなってしましました。申し訳ありません。
9月2日、自民党の総裁選挙が月末に行われることを見据え、神奈川県連の総裁選挙管理委員会の初会合が開催されました。昨年の総裁選に引き続き選管の委員として会議に出席をしましたが、現職総理のお膝元(その時点では…)ということで、多くのメディアが取材に来ていました。そんな中、選管委員長である土井りゅうすけ県連幹事長の記者会見での発言を某新聞社が意図的に一部分を切り取って、あたかも「地元の県連にも見放された菅総理」的な記事を掲載したことには本当に腹が立ちました。県連として正式に抗議をし、翌日謝罪文が掲載されましたが、報道の恐ろしさを改めて感じる一件でした。もちろんこの時点で菅総理の総裁選出馬は既定路線だったので、あくまで県連としては特定の候補者を応援することはありませんが、内心で当然菅さんの再選を望んでいたのは自分だけではなかったと思います。
ところがその翌日、菅総理ご自身から総裁選不出馬の意向が発表され、県連内はもちろん菅さんの選挙区である私の地元でも大きな衝撃が走りました。我々地元議員も全く知らされていないことで、県庁控室のテレビでニュース速報を見たときはまさに「開いた口が塞がらない」状態でした。本当にショックでした。自分は、野党やマスコミが新型コロナの感染拡大は菅内閣のせいだと責め立て、菅さんのこの1年間の多くの功績を覆い隠してしまったと思っています。正直、コロナ対策は誰が総理大臣をやったとしても変わらなかったと思います。未知のウイルスとの闘いはそれほど難しいものだと感じています。その中で菅さんは、携帯料金の値下げから始まり、不妊治療の保険化・デジタル庁の立ち上げ・脱炭素社会の実現のための目標設定など、多くの実績を積み上げてきました。特に国内でのワクチン接種率のスピードは、世界有数の速さで実現しています。今現在、新型コロナの感染者数は大きく減少していますが、これは菅総理の実行力によるところが大きいと疑う余地はありません。こうした実績をしっかりと評価してもらうためにも、引き続き国のリーダーとして我々を引っ張っていって欲しかったと思います。今回の菅さんの決断は私にとって悔しく残念な結果となりましたが、これからも微力ながら菅義偉衆議院議員を地元から支え応援していきたいと思います。
その後、菅さんが自分の後継者として応援したのは、河野太郎行革担当大臣でした。同じ神奈川県連の仲間であり、河野大臣のお父上河野洋平氏は私の父豊彦の盟友でもありましたが、それだけでなくこの国難とも言える厳しい時代を乗り越えるためには、突破力のある強いリーダーシップが必要だと感じ、自分も総裁選では河野大臣を支持しました。結果は残念のことになりましたが、まだ若く(同じ歳です!)今後も期待したいと思っています。総裁選後、河野さんは県庁内にある自民党県議団の控室に選挙のお礼と、党の広報本部長就任の挨拶にわざわざ足を運んでいただきました。ここではまだ書けませんが、新広報本部長として新たな計画もお考えとのことで、その内容に感銘を受けました。今後も出来る限り協力していきたいと思います。
つい総裁選の話が長くなってしまいました(汗)。その他のご報告としては、9月7日に恒例の南区選出県市議員団会議がリモートで開催され、横浜市のコロナ対策・ワクチン接種状況・旧区役所跡地の再開発計画などの説明を受けました。全ての議員が自分の事務所からリモートでの参加となりましたが、こうしたオンラインでの会議開催はこれで二度目となります。これからはこうしたスタイルが増えていくと思いますが、自分は古いタイプの人間なのか、何回やっても慣れません。ウイズコロナ・アフターコロナの時代に向けた新たな生活スタイルを!と提言していますが、一番最初に改革すべきは自分の頭の中だ、と改めて痛感しました。
神奈川県議会の第三回定例会は9月8日にスタートしました。現在も続行しており10月15日まで続きますが、定例会中であっても緊急事態宣言の期限を迎えれば、臨時で本会議・常任委員会が開催されることに変わりはありません。今月は宣言が延長された9/12と、全面解除された30日に合わせて補正予算が上程され、審議を行いました。特に30日の議会では、久しぶりの宣言解除で神奈川県は「リバウンド防止措置期間」となり、一定の条件をクリアした店舗では酒類販売も解禁されるので、久しぶりに嬉しい気持ちで委員会に臨むことができました。議会での夜食もシウマイ弁当から泉平のお稲荷さんに代わり気分一新です!さあ、次の期限である10/24は本当の全面解禁となることを心から願い、9月の活動報告を締めさせていただきます。