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8月10日
2023年7月 活動報告
連日の猛暑の中、いかがお過ごしでしょうか?自分は比較的暑い季節が得意な体質なのですが、この暑さにはさすがに参りました。やっぱり還暦を迎えたせいなのか?猛暑が身体に堪えます。国連のグテーレス事務総長が「地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰化の時代が来た」と発言したそうですが、地球環境の変化を身をもって感じさせられるとともに、カーボンニュートラル・脱炭酸社会の重要性を改めて痛感する今日この頃です。
7月11日、改選後初となる「令和5年第2回定例会」は、骨格予算への肉付けとなる補正予算案約49億円を可決し無事終了しました。道路や河川の整備といった「待ったなし」の公共事業を中心に、子育て支援の充実なども考慮した内容の補正予算は、安心して暮らせる県民生活に直結しており、今後迅速な予算執行を目指します。
議会が終了したからといって、のんびり過ごせるわけではないのが議員の宿命(涙)。早速翌日から県連政調会の主催による「団体ヒアリング」そして「市町村ヒアリング」が続きます。初当選以来、自民党県連の「教育グループ」に所属し今年度から同グループの事務局長を仰せつかった自分は、「団体ヒアリング」では主に県私立幼稚園振興連盟さんや県私学中高学校協会さん・県専修学校各種学校協会さん等の教育関係の団体の要望を伺います。そんな中、我が地元の山王台幼稚園の田野岡由紀子理事長が会長を務める私立幼稚園振興協会さん主催による研修会・意見交換会が開催されました。最近話題の「送迎バスの園児置き去り」や「不適切な保育」などの対策について専門家からの講演があり、その後は保育園と比較しても処遇改善が遅れている幼稚園教諭の人材不足など、様々なご意見ご要望を伺いました。同じ教育グループの加藤元弥議長や新井絹代グループ長らと共に、有意義な意見交換会となったと思います。
個人アカウントのFacebookで報告済みですが、共生社会推進特別委員会の委員長としての公務が2件ありました。一つは、毎年恒例の「ともに生きる社会かながわ憲章」のチラシ配布。今年も桜木町駅前をお借りして、早朝からチラシ配布と街頭演説を行いました。県立津久井やまゆり園で発生したあの凄惨な殺傷事件から、今年で7年が経過しています。「意思疎通ができない障がい者は生きる意味がない」という間違った考えから犯行に至った犯人は、決して許されるべきではないと考えますし、この恐ろしい事件を風化させず、県民全員で障がい者やそのご家族が安心して暮らせる神奈川県を目指さなければいけないと思います。そのために地道ではありますが、朝から30度近い気温の中、超党派の県会議員と県職員の皆さんで通勤・通学中の皆様に共生社会の実現がいかに大切かを訴えました。しかしながら、朝の忙しい時間帯とは言え、チラシを受け取ってくれる方は思った以上に少なかったと感じています。大変難しいテーマであり、多くの方にとっては自分の生活と直結しない事柄だとは思います。自分もサラリーマン時代だったら「朝から重い内容だな…」とついついスルーしてしまったかもしれません。でも、重いテーマからこそ、多くに県民に考えてもらいたいし、誰かがこのテーマを伝え続けて行かなければならないと思います。共生社会の実現。議員になって初めて向き合った課題ではありますが、今では自分のライフワークだと思って取り組み続けたいと考えています。
もう一件の公務は、7/26「津久井やまゆり園事件追悼式」の参加です。まさに7年前の7/26に発生した津久井やまゆり園事件。あれから7年も経ったのかと思うと感慨深いものがあります。昨年は厚生常任委員会委員長として初めて追悼式に参加し、今年は共生社会推進の委員長として2年連続での参加となりました。津久井やまゆり園の園舎は事件後建て替えられており、私は事件当時の建物を知りません。周辺ののどかな風景と現在の清潔感あふれる真新しい園舎を見ていると、誰しもがあんな恐ろしい事件が起こった場所だと想像することは難しいのではないかと思います。だだ、ここで起こった恐ろしい事件はまぎれもない事実であり、私たちは決して忘れてはいけない出来事なのです。しかし、その後も同じ県立の障がい者施設である中井やまゆり園において、職員による入居者への虐待等が発覚し、我々が掲げた「ともに生きる社会かながわ憲章」の理念は、お膝元の県直営施設ですら浸透していない事実を思い知らされました。「道半ば」と言うよりは、ようやくスタートラインに立てた状況なのだろうと思います。私はこの事件が発生した時点で神奈川県議会議員であったことを決して忘れず、こうした事件が二度と起こらない社会を作るため、全力で取り組んでいくことが我々議員の使命であると感じています。
また今年10月には、「津久井やまゆり園事件」をモチーフにした映画『月』が宮沢りえ・オダギリジョーなどの豪華キャストで上映されます。どのような切り口で物語が進むのか、石井裕也監督は何を伝えたいのか、とても注目しています。県民の皆さんと、この映画の感想などを語り合える機会など作れたらいいなぁ、と考えたりしています。
7/31は総務政策常任委員会の県内視察が行われ、川崎競馬場と小向きゅう舎を視察してきました。刑法により都道府県による競馬の運営が認められていることから、神奈川県は馬の改良増殖その他畜産の進行に寄与すること、地方財政の改善を図ることを目的として、昭和23年から競馬事業の開催を行っています。県が競馬を主催して県財政の一部を支えていることはあまり知られていませんよね。
まずは川崎競馬場で、神奈川県川崎競馬組合から過去の歴史と経営状況についてレクチャーを受けました。バブル崩壊後、経営は厳しい状況が続き平成16年には約36億円の累積赤字を抱えた県の競馬事業が、平成27年には黒字に転じ、令和4年度は史上初めて売得金1,000億円を超え売得金過去最高額を6年連続で更新するという健闘を見せていることに驚きました。苦難の赤字時代に徹底した経費削減を行い、その後インターネット投票の導入により売得金を大きく伸ばしたとのこと。不要不急の外出が制限されたコロナ禍にインターネット投票が大きく伸びたとは、まさに「瓢箪から駒」というべきでしょうか。やはり現地に足を運んで、直接見聞きするのはいろいろ勉強になります。
その後は、バスで10分程移動して小向きゅう舎を視察。老朽化が進む小向きゅう舎は、移転や建て替えの検討がされており、現状を調査するのが目的です。実は目の前で競馬の馬を見たのは初めてでしたが、皆大きくてたくましく、とても聡明な感じの瞳に魅了されました。まるで「僕たちに新しいきゅう舎をお願いします!」と訴えかけているようでした。馬、可愛いですね!さて実際にきゅう舎を見てみれば、確かに老朽化は進んでおり移転の検討は必要と感じましたが、広大な面積の小向きゅう舎に代わる代替地選びや建設費用など、越えなければいけないハードルは高いと思います。県と委託されているよみうりランドが知恵を絞る必要がありそうですね。競馬ファンに対してクラウドファンディングなど検討するのも良いのではないかと個人的には思いました。
7月は議会が終わった後も公務や議員野球部の合宿などが続き、あっという間に過ぎていった感じがします。さあ、これから夏本番。我が地元は各町内会の夏祭り・盆踊りがピークを迎えます。コロナ禍で丸3年開催されなかった地域のお祭りも今年ははぼ復活していて、以前のように全部回れるか体力的に不安ではありますが、還暦オヤジここにあり!で、暑さに負けず頑張りたいと思います。
7月
10
7月10日
6月
04
6月4日
2023年5月 活動報告
6月に入って、いきなり台風2号の影響による豪雨と強風により、各地で被害があったようです。被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます。今は晴天になりましたが、我が事務所でも、ブログ更新のため来てみたら入り口付近のカーペットがずぶ濡れでした(涙)。昨夜はちゃんと戸締りしたはずですが、余程の風雨だったのか隙間から雨水が侵入してきたようです。やむを得ず入口の扉全開で、床を日差しで乾かしながら5月の活動報告ブログを更新しています。
5月1日は改選後の議員が初登庁し、4年に一度「議員バッジ」を交付される日です。ベテランから新人議員まで当選を果たした全議員が県庁本庁舎の正門に随時集合します。自分は3回目のバッジ交付となりますが、こればかりは無投票だろうが何だろうが嬉しいものです。ちょうど居合わせた先輩・同僚議員と記念撮影をしつつも、新たな任期のスタートに身が引き締まる想いでした。
そして5月といえば、今年度の県議会および自民党県議団の人事を決めるための臨時議会が招集されます。新たに県議会議長に選ばれたのは、加藤元弥議員(5期・西区)。加藤議長とは実はサラリ-マン時代からの友人で、同業他社のライバル関係でありながら、情報交換等よく飲みに行く間柄でした。その後、お互いに菅前総理の2期目の衆院選のお手伝いでも顔を合わせたりして、本当に仲良くしていました。今となっては、歳は自分が少し上ですが政治の世界では加藤議長の方が2期先輩に当たります。頼りになるナイスガイ、加藤議長を中心に今年度もしっかりと議会活動していきたいと思います。ちなみに写真は2年程前のピンクシャツDAYに撮ったものです。
また自身の新たな配属ですが、5/19の本会議において議長から、常任委員会は総務政策常任委員会の委員(部会長)に、特別委員会は共生社会推進特別委員会の委員長に任命されました。総務政策は県全体の予算と人事、更には知事の肝入り政策などを所管する大変重要な委員会で、しかも党の部会長ですから責任重大です。6年振りの所属なので、いろいろと思いだしながらやっていきます。特別委員会に関しては、なんと言っても「新型コロナウィルス感染症対策特別委員会」に3年連続で所属していたので、他の委員会に所属しただけでも内心ホッとしたのが本音です。共生社会推進では、昨年度に厚生常任委員会の委員長として制定を実現した「当事者目線の障害福祉推進条例」に関する各施策が着実に具現化していく過程をしっかりチェックしていきたいと思います。ちなみに「新型コロナ…特別委員会」は、コロナが5類に移行したことを受け解散となりました。ちょっと語弊のある言い方かもしれませんが、何という解放感!いよいよアフターコロナが始まったことを実感できる今日この頃です。
更にこの日は、物価高騰などの対策として5月補正予算(案)約167億円が本会議で上程されました。早速5/22は総務政策常任委員会が開催され、部会長としての初仕事となりました。自分が2月の一般質問で要望した「かながわPay」第3弾の増額は国の臨時交付金により約倍増の100億円規模で計上されるなど、物価高で苦しむ県民や事業者にとって歓迎すべき内容の補正予算(案)であり、言うまでもなく全会一致をもって可決されたことをご報告します。
その他の活動としては、5/10に南区制80周年実行委員会が開催されました。南区選出の議員は自動的に実行委員に選出されるシステムです。12月の式典に向けて、動画作成・Tシャツの販売・のぼり旗の配布など様々な企画が発表されましたが、ある町内会長さんから「のぼり旗だけ配布されてもポール等が無いと掲出できない」との意見が出されました。全くごもっとも!結局その場で各町内会にポールの貸し出しが決まりましたが、実行委員長から「議員の皆さんも何かご意見を」と促され、私から「各議員の事務所ならポールも土台もたくさんあるから、のぼり旗の掲出にご協力しますよ」と発言したところ、他の議員から一瞬ジロリとにらまれ?ましたが、結局皆さん快く引き受けることとなりました。『言い出しっぺ』として、早速我が事務所の前には「南区制80周年記念」ののぼり旗が春の風にはためいています。南区制80周年、盛り上げていきたいと思います。ただ、毎日の出し入れが意外と重労働なのは計算外でした(汗)。
また5/18には今話題のeスポーツの強豪チーム「VARREL」が、この5月からフランチャイズを横浜に移し、地元企業等と連動して地域を盛り上げる「横浜GGプロジェクト」の記者会見が横浜ゲートタワーで行われ、見学に行ってまいりました。なんでお前がeスポーツの記者会見に?と思われる方も多いでしょう。実はこのプロジェクトのパートナー企業は、横浜に本社を構えるPC DEPOTと京浜急行電鉄の2社なのです。京急といえば私を育ててくれた故郷のような会社であり、今回eスポーツを軸に沿線を活性化させていく計画に興味を持ちました。「VARREL」の親会社「ドーナツ」さんとも以前から交流があったため、会見にご招待いただいた訳です。現在県内では、川崎・横浜・横須賀においてeスポーツが盛んで各市にチームの拠点もあります。京急沿線はまさに『eスポーツライン』と呼べる状況なので、時流に乗った川俣社長らしい判断だと思いました。まだこれからの企画ですが、何かお手伝いができればと思っています。ただ正直に申し上げると、今回会見に参加した一番の理由は「eスポーツって何?」でありまして、オッサンとして新しい文化をちゃんと勉強しなければ…なのであります。「VARREL」は9月に開催されるアジア大会の日本代表に内定した選手も3名所属しています。やっと少しわかって来たeスポーツ、これから全力で応援します!
5月はその他にも、初めて参加した国際仮装行列「ザよこはまパレード」や、県立こども医療センターに隣接する宿泊施設「リラの家」の設立15周年記念式典などありましたが、こちらは個人FBで紹介しましたのでHPの活動ブログでは割愛させていただきます。
いよいよ新年度も本格的にスタートとなりました。コロナ禍で燻っていた3年間を取り戻す意味でも、思いっきり活動していきたいと思います。
5月
14
5月14日
2023年4月 活動報告
GWも終わり、無事に5月8日を迎えて新型コロナウィルス感染症は感染症法上の「5類」へ変更されました。3年以上にわたり議会でのコロナ対策に従事してきた自分にとっては、まさに「待ちに待った特別な日」となった訳です。憂鬱の種であった感染者数の発表も終了しましたし、マスクの着用も完全に個人の判断に任せられます。ところが8日を過ぎても街中を見渡せば、8~9割程度の人がマスク着用のまま屋外を歩いていますし、屋内での多人数の会合などはほとんどの方がマスクをしたままと感じました。自分が想像していた「アフターコロナ」とは少し違いましたが、これが日本人の良いところでもあるのだと思います。本当の意味での「アフターコロナ」には、もう少し時間がかかるのかもしれません。
さて、4月の報告となるとどうしても統一地方選挙が中心になりますが、選挙に関しては前回のブログで既に報告済みなので、今回は選挙以外の4月の活動を報告します。とは言え、改めて振り返ると選挙に関連した活動を除いてしまうと内容がかなり乏しく?なってしまいますので、少しだけ触れることにします。
4/12、南区役所にて当選証書授与式が行われました。自分にとっては3回目の授与式ですが、無投票だったこともあり、過去2回に比べれば喜びも半分くらいだったでしょうか…。実は選挙後、県庁で激戦を勝ち抜いてきた先輩・同僚議員と顔を合わせたとき、それぞれ選挙期間中の思い出話になったのですが、選挙の話で盛り上がれない自分は、頭の中で疎外感や後ろめたい気持ちが渦巻きました。そんな気持ちが日に日に強くなり、「議員は有権者の投票により選ばれて議会の場で地域の代表として働くものであり、無投票だった自分に果たしてその資格があるのだろうか?」と悩むようになっていました。そんな状況の自分に対して、ある支援者の方が「無投票とは相手が恐れをなして戦いを放棄したのだから勝は勝だ。胸を張って4年間仕事をして来い!」と喝を入れてくれました。ある意味「無投票後遺症」?だった自分は、この言葉で目の前の霧が晴れたようでした。ぶっちぎりのトップ当選も当落すれすれの滑り込みも「勝は勝」、無投票当選も「勝は勝」です。気持ちも新たに、議会で思う存分暴れたいと思います。
選挙の話はこれくらいにして、その他の活動をご報告します。コロナ禍が収束に向かう中、久しぶりに地元南区にある県立横浜国際高校の入学式に招待されました。入学式の中止、生徒のみ、保護者1名のみ、と制限の段階を経て行われてきた県立高校の入学式ですが、4年振りにフルスペックの開催となったことは本当に喜ばしいことです。新入生の期待と不安が入り混じった初々しい表情、すっかりお兄さんお姉さんになった在校生の校歌斉唱、それを見守る多くの保護者の方々。本来あるべき入学式の風景が戻ってきました。ここ数年、祝電対応のみだったせいもありますが、久しぶりに生の入学式を目の当たりにして、この生徒たちの未来を守ることが我々の仕事なんだということを改めて感じることができました。将来のある若者たちを支えていく仕事ってやりがいがあると思いませんか?また議員になって良かった、と実感できた一日でした。
町内会のバーベキュー大会や神社の例祭など、目に見えて活発さが戻ってきた我が街南区。4月中は選挙後のご挨拶も兼ねてあちらこちらと回りましたが、そんな中昨年の夏に交通規制に関する陳情を受けた町内を通りかかり、警察と協議したことを思い出しました。一時停止の道路標示が道路工事の影響か「止まれ」が「れ」だけになっているのでみっともない。また、坂の途中のT 字路で下って来る車のスピードが速く危ない。といった内容の陳情でしたが、警察署からは年度内に対応する旨の回答をいただいていました。「止まれ」の方は道路工事は市、道路標示は警察、とまさに縦割りが原因で発生した事例です。早急に対応して欲しい旨伝えました。T字路は警察の調査の結果、交通量が少なく一時停止にするのは難しいが運転者が交差点だと認識しやすいように標示を追加する、との回答を得ていました。年度も変わったので、はたして工事は完了したか?と思い立ち寄ったところ、2か所とも整備されていてひと安心。こうした地域住民からの要望は、我々議員にとっては日常茶飯事です。細かい話かもしれませんが、こうした細かい要望をひとつひとつ解決していくことが県民の安全を守ることに繋がります。地味だけど大切な仕事だと思っています。
さあ、いよいよ新しい任期の4年間がスタートしました。既に新しい県議会議長や自民党県議団の団長などの執行部人事も決まっています。このブログを更新している翌週には、自分が今年度に所属する常任委員会なども確定する予定です。令和5年度はどんな委員会でどんな仕事ができるのか、今からワクワクしています。新年度もどうぞよろしくお願いいたします。
4月
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4月24日
2023年4月 活動報告(統一地方選挙編)
4月9日投開票で行われた令和5年第20回統一地方選挙。私にとって3期目の挑戦となる今回の横浜市南区県議会議員選挙は、既にご承知の通り「無投票」という結果となりました。「無投票」とは、選挙区の議員定数を超える立候補者が現れない場合、投票なしで当選が確定することを意味します。過去2回は定数2に対して3名以上の立候補者がいたため選挙は成立しましたが、3回目にして初めて「無投票」を経験しました。南区は今年で区制80周年を迎えますが、選挙が無投票になったのはおそらく初めてではないかと思います。区民の皆さんも無投票に慣れていないせいで、投票所では「なぜ県会の投票用紙がないのか?」という問い合わせが多かったと後になって聞きました。結局、選挙戦初日の17時過ぎに控えめな?万歳を行い、自分にとっての3回目の選挙はあっけなく終了しました。
実は、昨年秋頃から南区の県議選は無投票になるのでは?との憶測が広がっていました。ただし、どっちに転んでもいいように、昨年11月頃から駅頭や商店街でのビラ配りだけは地道に行っていました。正直この頃は、選挙が無いなら無いで気が楽だな、と感じていた自分がいたのも確かです。関東に進出を狙う日本維新の会が、同じ横浜市の他の選挙区に次々と公認候補を擁立していく中でも、我が南区においては具体的な動きはなく、一時期南区から立候補を検討していた元職の方も3月中旬に出馬断念となり、統一地方選挙の告示日は刻一刻と近づいてきました。当然、新聞各紙や地元タウン誌が「南区県議選は無投票の可能性大」と報じる中、支援者の皆さんのモチベーションは上がらない状況が続きます。しかしルール上、立候補届出の締め切りは選挙戦の初日である告示日の17時になっているので、自分は「締切りまで何があるかわかりません!」と後援会の皆さんを鼓舞しながら、拡大選対会議・県政報告会(決起大会)・事務所開きと、選挙に向けた日程を消化していきました。しかし、無投票がほぼ確定している中で、各行事にどこまで動員をかけるべきなのか?正直迷いました。結局通常の半数以下の方に対してのみ案内状を送付し、普段行う動員のための電話作戦も実施しませんでした。当然のことながら参加人数も例年の半数以下となり、盛り上がりに欠けた選挙前の各行事となったことは言うまでもありません。しかし今考えれば、有権者に向けて自分の実績や政策を語る数少ないチャンスが選挙なだけに、無投票になるならないにかかわらず、いつも通りの動員をかければよかったと後悔しています。
先程も軽く触れましたが、選挙は結果的に無投票でも初日の17時までは選挙活動が認められています。逆に言うとそれ以降は一切の選挙活動が禁止されるので、選挙事務所や選挙カーの看板や襷など、自分の名前や顔が出でいる物は全て隠さなければなりません。公営掲示板のポスターだけは役所が翌日撤去してくれますが、知事選と市会議員選のボードの間にポッカリと空間ができ、これはこれで寂しいものです…。
3月31日、朝の8時から夕方17時までが自分に与えられた選挙活動の時間でした。選挙カーでの遊説を中心に、横浜橋商店街での「桃太郎」、2人の市会議員候補者の出陣式出席の後に15時から自分の出陣式を行い、井土ヶ谷駅前の街頭演説を終えるとあっという間に17時になってしまいした。慌てて事務所に戻り、選挙管理委員会から無投票の連絡を待つことになるのですが、事前に確認したところ連絡は17:30頃になるとのこと。ところが17時を3分過ぎた頃いきなり自分のスマホに「無投票が確定しましたが感想を!」と新聞記者から連絡があり、選管ではなくマスコミから自分の当選を知ることとなってしまいました。無投票を予想して?既に事務所に集まっていた支援者の皆様に隠しているわけにもいかず、選管からの連絡を待たず当選が確定したことを告げ、最初はあまり気乗りはしませんでしたが「勝は勝だ!」との選対本部長の音頭で万歳三唱。この時ばかりは流石に嬉しい気持ちになりましたが、初日の選挙戦を戦ってエンジンがかかった状態での終戦は、不完全燃焼というか消化不良というか…なんとも微妙な気持ちだったことは間違いありません。その後、無投票だったことについてマスコミ4社から次々と取材を受け、気が付けば夜もかなり更けていました。当選が決まった夜に一人とぼとぼと帰宅するというのも、かなりレアな体験ではないかと思います。
さて、無投票で選挙が終了した議員は選挙期間中なにをしているのか?自民党神奈川県連では、県内で激戦区の同僚や不慣れな新人候補の選挙区に入り応援やお手伝いするのが慣習となっていて、自分もそうなるのかと思っていました。しかし、今回の我が地元南区の横浜市会議員選挙は大激戦が予想されていて、4議席に対して2人の自民党公認候補の当選を確実なものにするため、「新堀は期間中一歩も南区を出ずに市議選の応援をするように」との指示があり、結局はまるで自分の選挙やっているかのように地元に張り付くこととなりました。選挙戦が進むうちに、過去2回連続トップ当選のゆさ大輔候補の勝利は確実(結果は断トツのトップ当選!)との戦況が明らかになりましたが、もう一人の渋谷たけし候補は他党の候補と横一線の激戦です。渋谷候補は、私の父豊彦の秘書をキッカケに政治の世界入ってきた人で、自分も中学生の頃から知っている間柄です。落選させるわけにはいかないと、自分の選挙と変わらない、いやそれ以上の気持ちで応援しました。二人の候補者の応援に菅前総理や島村大・三原じゅん子の両参議院議員も連日の南区入り。そして応援の甲斐あって、渋谷候補もギリギリ4位ながら無事当選!選挙後すぐに父の墓前に、自分と渋谷さんの当選を報告することができました。無投票により、普段から仲が良いながらも選挙を応援することはなかった二人の選挙を手伝うことができて、同じ政党・同じ選挙区でもそれぞれの戦い方があることを知り、貴重な経験をさせて頂きました。
かくして私の3回目の統一地方選挙は、無投票→市議選応援というかたちで幕を下ろしました。最後に、当選が確定した31日の夜、マスコミの取材に対してのコメントを紹介して、今回の活動報告を終了します。
「無投票とは言え、また4年間議会で仕事をさせて頂けることは素直に喜びたいと思います。しかしながら、本来議員とは有権者からの投票で選ばれ、地域の代表として議会の場で発言を許される立場であり、今回のように無投票で選出されたことに関しては、正直一定の違和感を覚えます。選挙で選ばれなかった分、より一層気を引き締めて仕事に当たりたい。また、県内で12の選挙区が無投票となったことについて、議会として重く受け止めなければいけないと思います。今後、地方議員のなり手不足を解消するため、様々な議論も行っていく必要性を強く感じています。」
また4年間、がんばります!よろしくお願いいたします。